20200922

布団のすべてのパーツを洗い、干し、身体を洗い、乾いてからシーツを結びその中へ入ると暖かく、柔らかく、洗剤の匂いがし、何かを思い出しそうになったが一日中寝ていた。昨晩見たテネットをもう一度観に行こうと思ったが面倒くさく、そもそも昨晩もかなり面倒くさかったが「仕方ない」と思って「映画は観ないと“意味”がない」と思って「観るためには映画館に行かなくてはならない」と思って歩いて行ったが、何の意味があるのだろうか。しかし眼球は映画になった。全身が眼になり一気呵成の集中力となり人生に“意味”が投薬された。それは本当に良いことだった。クリストファーノーランという監督の作品は本当に頭に絶頂感をもたらす映画体験ばかりで映画館の中でブルブルブルブル震える。だがまったく理解できなかったため何度でも観に行かなくてはならないが本当は映画はストーリーなど理解できなくてもいいのだろう。なぜなら映画は視覚や聴覚の表現で魅せればそれだけでいいような気がする。だがずっと考えていたがやはり一度観ただけだと難しくて感覚的にわからないけど「考えるな。感じろ」と映画でも言っていたから、わからなくてもいいのだろう。しかし面倒くさくても何度も観に行くことになるだろう。ひとつだけ私に言い切れそうなことがあるとするならば

「時間は前に進む」

と説明するシーンが出てくるが、「時間が前に進む」のはテネットが〈映画〉だからだということであろうと思う。