20200919

キースジャレットの2016年ブダペスト公演の一部演奏が聴けるようになっており、疲れて早く帰って眠りたい。キースジャレットのケルンコンサートは中桜田の夜の道を一人で歩きながら何度も聴いたものだ。同じ道を何周もしながら頭上には月があり、私はそれを見上げていたものだ。あれは何だったのだろう。あれは何だったのだろうと思うことなら無数にある。しかしほとんどのことは思い出せぬ。

ケルンコンサートのPart.1は1975年1月24日に演奏されたもので25分あるが私は歌える。凄まじい回数を聴いたから歌えると思うがわからない。ケルンコンサートというアルバムは本当に私の記憶の一部がそこに存在するほどに自分にとって密接で不可分なものになった。記憶は外部に存在すると大学でも習った。石川教授はあるとき私に「これからケルンコンサートが聴けるなんて幸せだ」と言ったが、そのとき私はまだケルンコンサートを聴いたことがなかった。たしかその後に成人式の二次会で、陽平が「ケルンコンサートは素晴らしい」というようなことを言っており、私は「やはりそうなのか」と思った記憶がある。そして実際に聴いてみたら最初はまったくわからなかったが今では私の記憶そのものになってしまった。中桜田の夜の道そのものになってしまった。頭上には月があり、明かりのない道を歩いており、その先に村岡の働くセーブオンがあったがそこへは行かず、同じ道を何周もし、頭上には月がある記憶そのものがメロディの中から立ち上がってくるが、そのとき「これは間違いなく後から思い出す記憶になるな」と思ったのが本当にその通りになったのであるが、その先に「60歳、70歳になったときにこれを聴いたらどうなるのか」と強く思った覚えがある。