20200917

0時半に寝た。4時半に起きた。0時半に寝た。4時半に起きた。0時半に寝た。4時半に起きた。そうやって朝が夜になり夜が朝になり朝が夜になり夜が朝になるのを繰り返していると起きている間は「何をしているんだろう」と考えながらも目の前の何かに夢中になると楽しい。しかし中一日ほどは9時半に起きてから昼過ぎに現場へ行ったり会社“カンパニオン”へ行ったりもしくは行かなかったりしており「この世は何なんだろう」と思う。会社“カンパニオン”へ行くと経理のおばさんが「手洗った?」と言って「洗ってません」と言うと「洗ってきなさい」と言って「母さん」と思うこともある。もしくは女性の先輩などが「はいっ」と言ってお菓子をくれるとその声音やイントネーションに「母さん」と思うこともある。でも本当の自分の母親はそんなイントネーションではないし自分は決して日々の生活の中で母性を求めているわけではない。なぜなら私はミカサ・アッカーマンのように献身的にされたらやはりエレン・イェーガーのようにそれを拒絶するだろう。だが意外と甘えるかもしれない。それはそのときになってみないとわからない。ただ俺は「母さん」という響きを吟味することによってカオスと交わした契約の使命を果たそうとしているだけだ。それは非常に不思議なことだ。モリッシーがこのように歌っているのは不気味でかっこいいことだ。

“ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい

ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい

ある女の子たちの母親は他の女の子たちの母親よりも大きい

ある女の子たちの母親は他の女の子たちの母親よりも大きい

アントニオがクレオパトラに語ったように

エールの木箱を開けながら語ったように

ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい

ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい

ある女の子たちの母親は他の女の子たちの母親よりも大きい

ある女の子たちの母親は他の女の子たちの母親よりも大きい

枕を贈ってほしいあなたが夢見る枕を

枕を贈ってほしいあなたが夢見る枕を

私も自分の枕を贈るから”

これは身体のことを歌っているのだろうか、それとも目に見えない何かのことを歌っているのだろうか。あとR.E.M.がまたこう言っている。

“私は天国を必要としない

私は宗教を必要としない

私はいるべき場所にいる

私は水を呼吸する

私は水を呼吸する

あなたは身体が呼吸するのを知っている

私は溺れている(自分自身を呼吸せよ)

私は溺れている(自分自身を呼吸せよ)

私は溺れている(自分自身を呼吸せよ)

私は溺れている(自分自身を呼吸せよ)”

何とかっこいい歌詞だろうしかし音楽は歌詞ではない。