20200728引用と記録⑤

この世は一体何なのだろう。頭の中が無限なのはなぜだろう。なぜ音楽で感動するのだろう。空気の振動が麻薬のように頭を楽しくさせるのはなぜだろう。ヨハン・ヨハンソンの『Orphée』は私に北部というものを思い出させてくれる。私にスターク家と同じ〈最初の人々〉の血が流れていることを思い出させてくれる。自分がどこから来たのかを思い出させてくれる。ウィアウッドの白い樹木に刻まれた“古の神々”の顔が絶えず私を見つめ続けている。4曲目の『A Deal With Chaos“カオスとの契約”』は、おう、これぞ、「生活」だ。皆が好きでたまらない「お昼休み」だ。「お買い物」だ。カオスとの契約を果たした私にとって、この終わりなき空気の振動こそが、絶え間ない悪夢のような「生活」だ。生活をささやかに繋げていくことの何が楽しいのだろうか。“家”など“墓”だ。破滅的な冗談のなかに身を置くことは何と楽しいのだろう。「あなたは狂っている」 愛する夫と我が子を失い、再生の業火の中へと身を投げようとするデナーリス・ターガリエンに向かって、妖女ミリ・マズ・ドゥールはそう言った。

氷と炎の歌からの引用】

「あなたは狂っている」〈神々の妻〉はしわがれ声でいった。

「狂気と知恵はそんなに遠いものかしら?」ダニーはたずねた。「サー・ジョラー、この妖女を薪に縛りつけなさい」

「えっ……女王さま、いや、いけません……」

「いうとおりにしなさい」それでも、かれはためらったので、彼女の怒りが閃いた。「どんなことがあっても、わたしに従うと誓ったでしょう。ラカーロ、かれに手を貸して」

その〈神々の妻〉はカール・ドロゴの火葬用の薪のところに引きずっていかれ、ドロゴの宝物のまんなかの杭に縛りつけられたが、泣いたりわめいたりしなかった。ダニーはみずからその女の頭髪に油を注いだ。

「ありがとうよ、ミリ・マズ・ドゥール」彼女はいった。

「いろいろと教訓を与えてくれて」

「あなたがわたしの悲鳴を聞くことはないでしょう」髪から油が滴り、衣服が濡れたが、ミリはそう答えた。

「聞きます」ダニーはいった。「しかし、わたしが欲しいのはおまえの悲鳴ではなく、おまえの命です。わたしはおまえがいったことを覚えている。死だけが生を贖うことができると」ミリ・マズ・ドゥールは口を開いたが、答えなかった。ダニーが後にさがると、その妖女の平板な黒い目から軽蔑の表情が消え、かわりに、恐怖とも受け取れる表情が浮かんだ。それから先は、太陽に注意して、一番星を探しさえすればよかった。

騎馬族の王“カール”が死ぬと、その乗用馬は、その人が黄泉の国に誇らしげに乗っていくために、殉死させられる。死体は露天で火葬にされ、王“カール”は炎の馬に乗って舞いあがり、星々の仲間入りをするのである。その男が生前に激しく燃えれば燃えるほど、その人の星は暗夜により明るく輝くという。

ジョゴが最初にそれを見つけた。「あそこだ」かれは抑えた声でいった。ダニーがそちらを仰ぐと、見えた。東の空に低く。一番星は彗星で、赤く燃えていた。血のように赤い、火のように赤い、ドラゴンの尻尾。彼女にとって、これ以上に強いしるしは望むべくもなかった。

ダニーはアッゴの手から松明を取り、丸太の間に突っこんだ。すぐに油に引火し、一瞬の後、雑木と干し草に火がついた。小さな炎が、すばやい赤鼠のように薪を駆けあがり、油の上を滑り、木の皮から枝に、枝から葉に飛び移った。燃えあがる熱が恋人の息のように柔らかく、ふわっと彼女の顔に当たった。そして、数秒後、それは堪えきれないほど熱くなっていた。ダニーは後ずさりした。木がはじける音がしだいに大きくなった。ミリ・マズ・ドゥールはかん高く、泣きわめくような声で歌いだした。炎が渦巻き、ゆらめき、競い合うようにして壇を駆けあがった。熱のために空気そのものが溶けるように見え、夕闇がゆらめいた。ダニーは丸太がパチパチとはぜる音を聞いた。炎がミリ・マズ・ドゥールの体を覆った。彼女の歌は大きくなり、よりかん高くなり……それから、彼女は何度も何度もあえぎ、歌は細く、高く、苦痛に満ちたものになり、ガクガクと震える泣き声になった。

今や、炎は彼女のドロゴに届いた。そして、今は炎がかれをすっかり包んでいた。衣服に引火し、一瞬にして王“カール”はゆらめくオレンジ色のシルクと、灰色で油染みた渦巻く煙の触手を身にまとった。ダニーの唇がひらいた。彼女はいつのまにか息を止めていたのだった。彼女の心の一部は、サー・ジョラーが恐れたように、かれと一緒に死にたいと思った。炎の中に駆け込み、かれに許しを乞い、最後にかれを体内に取りこんだまま、火で肉を溶かし永久にひとつになってしまいたいと思った。

彼女は焼ける肉の匂いを嗅いだ。それは焚き火の上で焼ける馬肉と変わることはなかった。薪は深まりゆく夕闇の中で、大きな獣のように唸りをあげ、ミリ・マズ・ドゥールのかすかな悲鳴をかき消し、長い炎の舌を突きあげて夜の腹をなめようとした。煙が濃くなると、ドスラク人たちは咳をしながら後ずさりした。巨大なオレンジ色の火の塊が、地獄から吹いてくるような風に炎の旗を広げ、丸太はシュウシュウパチパチと鳴り、火の粉が煙に乗って、生まれたばかりの無数の蛍のように、暗闇の中に流れていった。その熱が大きな赤い翼で空気を打ち、ドスラク人たちを押し戻し、モーモントさえも追い払った。しかし、ダニーはその場に留まっていた。彼女はドラゴンの血統であり、火炎は彼女の中にあった。

ダニーは燃えさかる火に一歩近寄って、自分はずっと昔にこの事実を感じとっていたと悟った。ただ、火鉢の熱では充分ではなかったのだと。炎は、婚礼の宴で踊った女たちのように、彼女の前で身をくねらせ、渦巻き、歌いながら、黄色、オレンジ色、真紅のベールを紡いだ。それらは見るも恐ろしく、同時に、美しく、とても美しく、熱をいっぱいに孕んでいた。ダニーはそれに向かって腕を開いた。肌が薔薇色に輝いた。“これもまた結婚なのだ”と彼女は思った。ミリ・マズ・ドゥールは黙りこんでしまっていた。その〈神々の妻〉はダニーを子供だといった。しかし、子供は成長し、子供は学ぶものだ。

さらに一歩進むと、ダニーはサンダルを履いているにもかかわらず、足の裏の砂の熱を感じとることができた。汗が股と乳の間を流れ下り、かつて涙が流れた頬に、小川のように汗が流れた。後ろでサー・ジョラーが叫んでいた。だが、もはやかれは問題ではなく、この火だけが問題だった。炎はとても美しく、これまでに見たどんな物よりも美しかった。それぞれの炎が、黄色とオレンジと真紅の衣をまとい、長い煙のマントをひるがえす、一人一人の魔法使いだった。彼女は見た–––火炎獅子を、黄色い大蛇を、青白い炎でできた一角獣を。魚と狐とそして怪物を、狼ときれいな鳥と花の咲いた木々を。そのひとつひとつが前のものよりも美しかった。彼女は馬を見た。煙で描かれた灰色の大きな雄馬を。その流れるたてがみは青い炎の光背のよう。“そうよ、わたしの愛しい人、わたしのお日さま、お星さま、そうよ、さあ、お乗りなさい。さあ、駆けなさい”

彼女のヴェストはすでにくすぶりはじめていた。ダニーは肩をすくめてそれを脱ぎ、地面に落とした。軽く跳ねるようにして、さらに火に近よったとき、色を塗られた革がぱっと燃えあがり、火炎に向かって乳房がむき出しになり、その赤く膨れた乳首から乳汁が流れだした。“さあ”彼女は思った。“さあ”一瞬、目の前にカール・ドロゴの姿がちらりと見えた。かれは煙の雄馬に乗り、火炎の鞭を手にしていた。かれはにっこり笑って、シュウシュウと鳴っている薪に鞭を振りおろした。

彼女はピシリと石の砕ける音を聞いた。木と藪の壇が形を変えはじめ、崩れおちはじめた。燃える木片が滑りおちてきた。ダニーは灰と燃え殻のシャワーを浴びた。それから、何か他のものが崩れおち、跳ね返り、転がり、彼女の足元に落ちた。丸い石の塊。青白くて金色の筋が入っている。割れて、煙が立っている。轟音が世界を満たしたが、その火の滝を透かして、ダニーは女たちの金切り声と子供たちの驚きの叫び声をかすかに聞いた。

“死だけが生を贖うことができる”

それから、ふたたび何かの割れる音がした。雷鳴のように大きくて鋭い音。そして煙が彼女の周囲で激動し渦巻き、火葬の薪が形を変え、丸太は火がその秘密の中心に触れると爆発した。彼女は怯えた馬たちの悲鳴を聞き、恐れおののくドスラク人たちの叫び声を聞いた。そして、サー・ジョラーが地団駄踏んで彼女の名を呼んでいるのを聞いた。

“だいじょうぶ”彼女はかれに叫び返してやりたかった。“だいじょうぶよ、わたしの騎士さん、わたしの身を心配する必要はないのよ。火はわたしのもの。わたしは〈嵐の申し子デナーリス〉、ドラゴンの娘、ドラゴンの花嫁、ドラゴンの母よ。ほらね? ほーらね?”火葬の薪は十メートルにも達する炎と煙を空中に噴きあげて崩れ、彼女の周囲に落下した。ダニーは恐れずにその火炎の嵐の中に歩み入り、子供たちに呼びかけた。

三度目の爆発は世界が崩れるかと思うほど大きくて鋭かった。

ついに火が消えて、歩くことができるほど地面が冷えると、サー・ジョラー・モーモントは灰の中に彼女を見つけた。

 

 

かくしてデナーリス・ターガリエンは三体のドラゴンを孵化させた。私は何というか、これは本当に起きた出来事だと思う。