20200617面倒くさい

なぜ生活というものをしないといけないのか生活や暮らしなどというものが死ぬほど面倒くさい「死ぬほど」とは言い得て妙な…そしてなぜ服を着なくてはいけないのか服……服を着なければ……真紅のサテンのケープを…金糸の刺繍の…聖獣の象られた…また海原のような深緑のビロードの…そういったガウンを…そして鎖帷子の上に硬革(ボイルドレザー)を装着せねば…獅子の頭立てのついた鉄兜を……「お洋服」を着たり「おいしいご飯」を食べたり「お花に水を」やったりすることの何が楽しいんだろうか…そういったものより剣……ではなかろう……か。そして人間よろしく悲しま…ねばならない…ような気が。しかしどうして朝から晩まで、眠っている間でさえも、生き死にのことばかり考えているのだろうか。健康でいることがあまりに面倒くさい。部屋の掃除も、ドブ洗いのぼろ切れも、ネズミの死骸の入ったシチューも、すべて蚤のたかった「生活」と言う名の遺産ということか。こいつらは眠ってやがる……【氷と炎の歌】を読んでいる間だけが楽しい。ひたすら移動時間や寝る時間を削って読むのだ。書物の外も楽しい。だがこいつらは眠ってやがる…しかし私も眠っている。小澤の薦めでマックス・リヒターの『sleep』を聴いていると見えている景色や人々の姿が夢の外にあるようだ。私はこれを眠るときではなく起きているときに聴くから今が夢なのだ。こいつらは何が楽しくて生きているんだろうか。笑ってやがる。笑って喋って……だがときには私もだ。こいつらは誰かを愛することがあるんだろうか。そして「愛するとは何か」考えずに愛しているんだろうか。愛してます感をやりつつ、そう遠くない未来なんとなく自然死を迎えようとすることによってあらゆる観念を有機的なインテリアと見なすことを〈生活〉と言うが、どうやら私の神(死神)はこれを好まないようだ。