20200609 the1975の新譜⑤

ゴム手袋をしていないと木片が指に刺さったりPPバンドの端で手のひらを切ったりする。PPバンドはポリプロピレンと呼ばれる樹脂の一種である。熱や水に対する幾ばくかの拒絶体である。素手で怪我をせずにそれらに触るためには、物体に触れるほんの少しわずか手前、すでにそれに触れているものと見なす必要がある。たとえば自分で自分の鼻に触ってみようとするとき、右肩から腕と手と指が繋がったクレーンみたいに軌道を描いてすでに鼻に触れそうになっているその手前、触る瞬間、その一連の流れを把握する時間と距離の感覚がそのまま「運動神経」と呼ばれるものなのか。しかしその触るか触らないかの「遠さ」と呼ぶべきか「近さ」と呼ぶべきか、すでに指は“それに触っている”のだと思えば、鋭利なものに触っても怪我しない。ということであろう。すなわち“触ろうと思って触っている。”ということであろう。しかしこういった意識への着目は小説や絵画や映画などではよく見られるテーマである。しかしたとえばそれが意識されずに金属片にぶつかったり慌てて受け止めたりすると、指の皮膚が切れたり骨が折れたりするかもしれない。木片など指に刺さっただけで「痛っ」と声が出るくらい痛い。少年漫画でよく身体を袈裟斬りされたり腕を切り落とされたり目を潰されたりするシーンがあるが、あれは恐ろしく痛いことだろう。脂汗や寒気が止まらなくなったり、息ができなくなったり、何より心が折れることだろう。今日は4時半に起きなかったが、明日はまた4時半に起きなくてはならない。『If You're Too Shy』という曲は恐ろしいほどの私欲のなさで、1980年代と2020年代を結ぶ「歌謡曲」といったものを礼賛しているかのようだ。いつどこの誰がどういった意図で作った歌なのかどうでもいいくらい良い曲だ。かつて数十年前にそういった歌がまるで実在したかのような曲だ。現代において「皆の歌」になりうる曲だ。と思う。1990年代に生まれた若者たちの個的な内面が現代という全体へと開かれるかのよう。ではないか。決して自らの世代に固有のムーブメントを持たなかった若者たちが、過去の音楽表現に対してひと匙の郷愁と諦観を投げ入れそのすべてを祝福するかのような、素晴らしい曲ではないか。という気がする。しかしその言い方はありがちではないか。ベックは2017年において「最近の曲は小さすぎる」と発言し、『Colors』という凄まじい熱量の練り混ぜられたポップアルバムを発表したが、それを思い出させるような巨大な曲だ。と思う。しかしなぜ80年代や90年代の表現が復興するのかわからない。だが暦などただの数字に過ぎないような気もする。しかし数字がすべてを意味づけ、観測することを可能にしているような気もする。「観測」といえば知識の城“シタデル”が七王国全土に派遣する学匠“メイスター”の課せられる重要な職務でもあるが、知識の城“シタデル”の大広間の天井には事象観測儀“アストロラーベ”と呼ばれる巨大な人工太陽に似たオブジェが吊り下げられている。マイルズ・マクナット著の古い書物いわく、「まばゆい中央の核を中心に、太陽の図象のように多数の金属の刃で縁どられたこの器具は、さまざまな意匠を刻印された四本の回転する金属環で囲まれている。まばゆく光る中核はウェスタロスの歴史を表示させ、歴代の王や女王の興隆と没落を示している」。