20200512肌の匂い①

問題は〈肌の匂い〉なのか。宇多田ヒカルが『あなた』のなかで歌うところの、

“おお 肌の匂いが変わってしまうよ”

なのか。肌の匂いが変わってしまうなんて信じられるだろうか。何ということだろうか。これがあらゆる問いの原点なのだろうか。生きている(死んでいない)というのは何と不思議なことだろうか。眠ると気持ち良い。夜の9時に布団に入ると塔の天辺から突き落とされた幼いブラン・スタークがごとく、底なしの眠りへ落ちていく気がする。「何をするですって? 食べて、飲んで、ヤって、生きるのよ!」と言ったシェイの言葉が忘れられぬ。我々の身体は〈像〉として在ると同時に、きっと動物的な〈肉〉として在るが、拷問や陵辱を好む知将ラムジーボルトン(旧姓:スノウ)は、いつしか鉄諸島を統べるグレイジョイ家の長男・シオンを自らの旗標になぞって磔にし、小指をこそぎ落とし、身体中の皮膚を剥ぎ取り、ついには性器を切り取り、名前さえも奪ってしまった。「お前はただの肉だ。嫌な匂いのする臭い肉だ」ラムジーボルトンはシオン・グレイジョイの身体を〈像〉と〈肉〉の闘争の場として捉えることによってフランシス・ベーコン的な肉体の立体造形を可能とする屠殺場のアーティストであった。彼は鮮やか且つ細やかな手腕で、シオン・グレイジョイの肌の匂いをあっさりと変えてしまった。だがシオンはまだ死んでいない。

“おお 肌の匂いが変わってしまうよ”

は、身体が死なないかぎり起こらないと思う。なぜなら我々には免疫力があり、治癒力があり、時とともにトラウマも変形していくからであろう。しかし死はもっと不思議だと思う。「死か。私は死を嫌悪する。死んだらそれまでだが、生は可能性に満ち満ちている」とティリオン・ラニスターは言ったが、しかし死は謎に満ちている。〈異客〉“まれびと”は〈七神〉の中でも「死と謎」を司る象徴を担っており、〈厳父〉は公正さを、〈慈母〉は慈悲や出産を、〈乙女〉は愛や美を、〈老軀〉は知識や予言を、〈戦士〉は力や勇気を、〈鍛治〉は創造や技術を、それぞれ表す象徴を担っているらしい。しかしそれがどうしたというのか。〈七神正教〉など、結局アンダル人がもたらした新興宗教の一種ではないか。かと言って〈古の神々〉も〈光の王〉も〈溺神〉も〈数多の顔を持つ神々〉も〈母なるロイン〉も全部どうでもいいような気がする。アリア・スタークはいつしかミアのソロスに対して、「そんなの全部、私の神さまじゃない」「ほう、ならばお前の神とはなんだ?」彼女は射抜くような目を彼に向けて、「死神よ」。しかし私は生きているだけでも肌の匂いが変わってしまうだろう。そして変わってしまったものは二度と戻らないだろう。それが『あなた』という歌であり、涙が出る。