20200509引用と記録②

〈春の疫病〉が蔓延したのは“血斑鴉”ことブリンデン・リヴァーズ公がエイリス一世の“王の手”に在位していた時分のことであり、ちょうどデナーリス・ターガリエンが三体のドラゴンを孵化させる百年ほど前の出来事であった。

この厄災は妖術を使い身内殺しを行った“血斑鴉”に対する神々の呪いだったと言われている。〈疫病〉は著しい感染力を有する肺病の一種であったと言われている。冷濠城の太ったセプトンいわく、「あれは恐ろしい病でした。早朝に目覚めた壮健な者が宵にはもう死んでいました。あまりにも多くの者が素早く死んでしまうので、死体を埋葬する暇がありませんでした。道端に転がる死体はやむなく竜舎“ドラゴンピット”に放り込まれました。積み上げられた死体の山が三メートルに及ぶと“王の手”であるリヴァーズ公・あの恐ろしい“血斑鴉”どのが、火術師たちにそれらを焼くように命じました。当時は竜舎の窓という窓が、火葬の灯りで煌々と輝いていました。まるでドラゴンたちがまだ生きていて、あの大円蓋の下で火を吐きつづけているかのようでした。夜になると王都のいたるところで暗緑色の火光が見えました。火術師たちが死体を焼くのに使う鬼火“ワイルドファイア”の色です。〈疫病〉は王都よりもラニスポートの方がひどく、オールドタウンではいっそう猖獗をきわめました。それでも王都は全人口の四割を失いました。老いも若きも関係なく、貴族と賎民の区別もなく、無差別に、平等に、人が死んでいきました。聖徒を統べるわれらが総司祭も死にました。沈黙の修道女たちもほぼ全員が死にました。さらにはデイロン有徳王も、あまつさえ心優しきプリンス・マターリスも、勇敢なるプリンス・ヴァラーも、先代の“王の手”も、皆死にました。“春に亡くなる”という言い回しはあの頃のものです。我々は〈七神〉の中でもとりわけ〈異客〉に祈りを捧げていました。(※異客“まれびと”は現実界的なものを象徴する神)〈春の疫病〉だけでなく、旱魃も非常に深刻な問題でした。河川は干上がり、〈王の森〉は乾燥して巨大な火口箱と化していました。丘や高台から見渡せば、どの森も火の絨毯を敷き詰めたかのように燃え盛っていました。我々は飢え、渇き、それでも外は〈疫病〉の蔓延する死の世界でしたので、暗い焼けるような家に閉じこもってうずくまっていました。これほど人死にが多くては酒を飲む気も失せようというものですが、我々が生きるこの時代において、生きる活力を与えてくれるものなど、ほかにはありません」 

しかし人体は物質であるらしい。あの“血斑鴉”の薄白い顔を覆う赤い母斑は、私は文字でしか知らず実際に見たことはないが、その母斑は彼が生まれたときに〈慈母〉(七神のひとつ)から与えられたものだと言われている。しかし人体が物質である以上、母斑は細胞の発生異常というきわめて物理的な現象に過ぎず、〈春の疫病〉の正体もまた、タンパク質と核酸により構成された生体高分子が引き起こす動物的なエラーでしかないのではないか、という事実が、我々の再建するこの認識世界というものを支えている。しかしそれこそが神秘だ・というか不思議である。だが私たちは当たり前に分子である。このたびの〈春の疫病〉に際し、我々は暗い“家”の奥に閉じこもり、あたかも孤独を有した狂気的なカタツムリのごとく、相互の連携を試みるかもしれない。誉れ高き音楽の従士にして文化の守護者である“星野源”は、リュートの調べに乗せてこんな奇妙な歌を奏でた。

“うちで踊ろう ひとり踊ろう 変わらぬ鼓動 弾ませろよ 生きて踊ろう 僕らそれぞれの場所で重なり合うよ うちで歌おう 悲しみの向こう すべての歌で手を繋ごう 生きてまた会おう 僕らそれぞれの場所で重なり合えそうだ” 

また我々は水である。

氷と炎の歌からの引用】

「剣は君の腕の一部にならなければならない」禿げ頭の男は説明した。

「腕の一部を落とすことができるかね? できないだろう。不肖シリオ・フォレルは九年間、ブレーヴォスの海頭“シーロード”の筆頭剣士であったのだ。私は剣術を知っている。言うことをよく聞くんだよ坊や」彼が彼女のことを“坊や”と呼んだのはこれで三度目だった。「私は女よ」アリアは抗議した。「男でも女でもいい」シリオ・フォレルはいった。「君は剣だ。それだけだ」彼はまた歯をカチリと鳴らした。「その通り、握り方はそれでよい。戦斧を持っているわけではないよ。君が持っているのは……」「針“ニードル”よ」アリアは激しく言葉を結んだ。「そうだ。これからダンスを始める。いいかね、ちびさん、我々が習っているのはウェスタロスの鉄のダンスではない。叩き切ったり、殴ったりする騎士のダンスではない。違うんだ。これは刺客のダンス。水のダンス。すばやく不意に動く。すべての人は水でできている。知っているかい?人を刺すと、水が洩れて死ぬ」

また我々はタンパク質であるらしい。アミノ酸、糖、ホルモン、コレステロール、ビタミン、デオキシリボ核酸であるらしい。一体それは何なのか。しかし驚きの事実である。私は日時計で換算するところの早朝5時から午下15時付近まで工事現場で残材を下ろし、棟から棟へ階段やリフトを使って往来し、全身の血を巡らせた。またこのたび〈春の疫病〉における“在宅勤務”にあたり部屋の中で全裸になった。皮膚を延長せしめる様々な素材の織糸、綿や絹、羊毛、なめし革、真鍮のボタン、金の止め細工など、外界と肌とを分断する“壁”は一切取り払われ、隠されていたちぐはぐなシルエットが浮かび上がった。しかし私の身体は酸素であり、炭素であり、水素であり、窒素であり、カリウムであり、ナトリウムであり、塩素であり、マグネシウムであり、ルビジウムであり、鉛であり、マンガンであり、銅であり、カルシウムであり、リンであり、イオウであり、鉄であり、フッ素であり、ケイ素であり、亜鉛であり、ストロンチウムであり、アルミニウムであり、カドミウムであり、スズであり、バリウムであり、水銀であり、セレンであり、ヨウ素であり、モリブデンであり、ニッケルであり、ホウ素であり、クロムであり、ヒ素であり、コバルトであり、バナジウムであり、それらの複合体であるらしい。何なのか。一体どういうことなのか。俺は何をしているのか。しかし驚きの事実であった。そして私はいつか必ず勃起しなくなる。いつか必ず食べ物を噛めなくなる。いつか味がわからなくなり、噛んで飲み込んだものを消化できなくなる。傷が治らなくなったり、排泄できなくなる。目が見えなくなり、耳が聞こえなくなる。考えるということもできなくなる。私は自分の裸を鏡で見ていると、25年間この身体を絶えず温め続けてきた血や肉や骨や、筋繊維や諸々のグロテスクな内臓といったものが、まるで〈こうであったかもしれない過去〉や〈こうであるかもしれない未来〉という可能世界が遡及的に現在を構築しそのすべてを祝福せしめるがごとく、ちょうど『ララランド』のラストシーンがごとく、このボディという一点のシルエットに結実したと言えるが、これこそオリンピア的世界の、愉悦と快楽。