20200420剣とラケット

しかし剣がどうしたというのか。我々の〈剣〉は兵器というよりも形象であり・イメージであり、男根的なモチーフであり・〈意味〉そのものであり・しかし欠けたものや壊れたもの(またはそう錯覚させるもの)を補う補填的・精神的なイメージというよりは、観念をひっくり返す?〈意味〉そのものであると言える。我々の〈剣〉は週刊少年ジャンプ的な欲望そのものであり、ゆえにしかし・日輪刀ではこの欲求を満たすことができない。それには個の“名前”がないからである。。刀や剣には“名前”という個的な〈意味〉が必要だからである。だから日輪刀は刀ではなく『鬼滅の刃』という「大正ダークロマン×スポ根」という形式の・もっぱらスポ根のほうの条件を満たすテニスラケット的な形式道具の役割しか果たしておらず・そんなものは〈剣〉ではないからである。ラケットのかたちには定められたスポーツのルール以上の意味はないが、〈剣〉は剣のかたちである〈意味〉がある。いやそうでなくてはならない・そこに〈意味〉がなければ、「鬼」は斬れても「人」は斬れぬ。そういうふうになっている・もしくはそういうふうになっていなくてはならない。〈人〉が〈剣〉と合わさるシルエットを描く以上は、それ自体がなにかの〈意味〉になっていなくてはならない。なぜなら人の命は重いからである。〈剣を握らなければお前を守れない。剣を握ったままではお前を抱きしめられない〉。BLEACHでもそう言っている。またそれはギターにも通ずる。