20200406ルキウス・アルトリウス・カストゥス

1002年、アイスランドの名もない小村で暮らす子供たちを前に冒険者レイフ・エリクソンは自身の航海の旅路を物語っていた。アイスランドよりはるか西方、岩の国(ヘルランド)よりさらに南、森の国(マルクランド)よりさらに南方に下り、ついに小麦と草原の広がる緑の新天地へと到達した。彼はそれを“ヴィンランド”と名付けた。水平線の向こうは暗闇や大海蛇の世界ではなく、豊かなアメリカ大陸が広がっていた。アイスランドは氷と溶岩に覆われた土地だった。北の最果ての島に住む人々にとって西方の彼岸の地は夢に見た理想郷だった。アイスランドはかつてノルウェーを統一した支配王ハラルドの圧政から逃れるため島を渡って来た人々によって作られた国だった。最初にその火山島へ移住したのはインゴールヴル・アルナルソンという名の男だった。彼は家族と多数の奴隷を引き連れ、やがて後の首都であるレイキャヴィクを拓いた。幼いトルフィンが育ったのはレイキャヴィクから遠く離れた名もない小村だった。ある日その村に一人の逃亡奴隷が行き着いた。どこからやって来たのか誰にもわからなかった。枷の嵌められた手足は青黒く腐り、身体中の肉はえぐれたまま凍っていた。息絶えようとする彼にトルフィンの父トールズは呼びかけた。「あんたは誰なんだ。どこから来たんだ。どこへ行くつもりなんだ」 深い冬の底であった。と言えよう。まるで自分に問いかけるような声音であった。と言えよう。「行く当てがない」と言って奴隷は死んだ。オーロラのかかる夜であった。と言えよう。彼は村の離れに埋葬され、幼いトルフィンが父にこう尋ねるシーンであった。「僕らのご先祖さまは東から逃げてきたの? 戦も奴隷もない場所を目指してアイスランドへ来たの? じゃあここからも逃げたい人はどこへ行けばいいの?」 “人間”という物語は非常に面白く・楽しく・悲しく・不思議だと思う。確かにどこへ行けばいいのかわからない。ヴィンランド・サガを読んで泣いた。そして“新型コロナウイルス”もまたひとつの人間世界の物語として認識せしめるべく、我々は語るほかあるまいと思う。そして人間の作ったこの素晴らしい政治経済的オープンワールド(西暦2020年)を保存・修復し続けるべく、我々もまた感染拡大の防止に努めて然るべしということなのかもしれぬ。たとえば趙国の悼襄王が三大天・李牧に向かって「国がどうとか民がどうとか、後のことなど知ったことか」と言ったとき、李牧は(暗い…あまりにも…)と内言した。たしかに国がどうなろうと知ったことないのかもしれぬ。ましてや他人がどうなろうと知ったことないのかもしれぬ。またこのたびの災厄は人間世界のすべてを終わらせる良い機会なのかもしれぬ。しかしそれはあまりに暗い。と思う。狭い考えはどんな物語の萌芽も生み得ぬと思う。 しかし同時に私は“三つ目の鴉”となりすべてを俯瞰して視れば、“新型コロナウイルス”という物語のすべてが面白く、たとえどれだけ人が死のうと何とも思わない。死ぬのは当たり前のことであると思う。でも死にたくないし誰も殺したくない。それは書き言葉の想像を超え、あまりに悲しい出来事であるはずだと思う。そして人間の作った素晴らしい文化や学問や芸術や建造物をまだまだこの先もずっと保存し更新し続けていきたいと思うのは、なぜかわからないが、私はこの人間世界にいつしか深い愛着を抱いてしまった。同時にこういった例外状態でどういった政策をどういった順序で取ればベストなのか考える役割の人は楽しいと思う。しかし眠れないほど辛いであろう。また11世紀の北ヨーロッパに存在した竜頭の船を駆る戦闘民族はヴァイキングと呼ばれ、彼らは西欧諸国・ロシア・北アフリカギリシア・トルコ・中東に至るまであらゆる地で略奪と虐殺を繰り返した。灰まみれ“アシェラッド”と名乗る男がなぜ北の民ノルマンニの首領になったのか、彼の父ウォラフはユトランド半島の豪族でありヴァイキングであった。あらゆる地で女を強奪し多数の子供をもうけたが、本妻の長男以外は名前も与えられなかった。彼もまたそのようにして生まれた無名の子供たちの一人であった。彼の母は古ブリタニアの軍神アルトリウスの血を引くローマン・ケルト?の末裔であったが、彼を産んだ後病に侵されてからは馬小屋に追いやられ、奴隷同然の扱いを受けて惨めに死んだ。幼い彼は弱っていく母から何度も先祖アルトリウスの神話を聞かされた。かつて500年前に蛮族の侵略から領土を守った伝説の英雄は遥か西の彼方の大海に姿を消した。平和と豊穣が約束された彼岸の地で彼は今も傷を癒し、やがて地上が再び凶荒と災厄に見舞われたとき、すべてを救うべく英雄が再来すると母は信じて疑わなかった。だがアシェラッドは違った。やがて母を失い、父を殺し、兄弟たちを殺し、自身が最も憎むヴァイキングたち・野蛮なノルド戦士たちの長になった。500年経っても英雄は現れず、ついに彼は待つのをやめた。11世紀デンマーク王によるイングランド征服戦争に傭兵団として参戦する最中、彼は英雄神の運命に取って代わる好機を敵軍のなかに見つけた。彼は捕虜として囚われていたデンマークの第二王子クヌートをトルケルの軍団から奪取すると、自身の旗印として王国を乗っ取る計画のために利用し始めた。彼は知能と武勇に秀でた戦士であった。母を殺した野蛮なノルド戦士を憎みながらも、生きるためにその中に身を置き、やがてその優れた人間力から多くのヴァイキングに慕われ愛される存在になった。すべては復讐のためだった。いつか仲間の振りをした連中とも手を切り、すべてぶち壊すはずだった。でもいつの間にか、彼にはそれができなくなっていた。

何ということか。と思う。この頬を伝うものは何か。と思う。人間の感情の何とままならないことか。。意志や使命などというものの何と儚いことか。。そして彼の計画のいち手駒に過ぎなかったはずの王子クヌートは、奇しくも戦のなかで君主の素質を開花させた。自身の身柄を求めて誰も彼もが殺し合い・奪い合う最中、大切な人さえも失った彼は宣教師に問うた。「お前が言う愛とは何だ。なぜ彼らは殺し合うのだ」「愛は死です。見てください殿下」 宣教師は戦乱のなかに転がる死体を指差した。「彼はもう憎むことも殺すことも奪うこともしません。素晴らしいとは思いませんか」 クヌートは殺し合う人々を見ていた。雪原がどんどん真っ赤に染まっていくそういうシーンであった。「わかってきた。この雪が、愛なのだな。あの空が、愛なのだな。あの太陽が、吹きゆく風が、木々が、山々が、愛なのだな」 彼は涙を流していた。「それなのに、何ということか、世界がこんなにも美しいのに、人間の心には、愛がないのか?」 確かに。と思う。そして彼は涙を拭って立ち上がり、殺し合う人々の中に入っていった。「生の意味も知らず、死の意味も知らず、己の戦う意味さえも知らぬ。もうウンザリだ。こんな戦いに意味などない」 彼は傷ついた兵士を抱き寄せた。それは無類の愛のかたちと見えないこともなかった。<剣を握らなければお前を守れない。剣を握ったままではお前を抱きしめられない>。BLEACHでもそう言っている。そして彼は敵味方問わず全ての兵士に語りかけた。「無意味な戦いをやめろ、私の家臣となれ。本当に戦わねばならぬ時と相手を教えてやろう。お前たちの戦いに意味を与えてやろう。お前たちの生と死に意味を与えてやろう」 それは王の務めであり、愛の本懐でもあると言えるのかもしれない。アシェラッドにとってこの幼い王子の変貌は大きな誤算であったが、彼はその長い人生のなかでようやく仕えるべき主君と生きる目的を得た。“人間”という名のどこから来てどこへ行けばいいかわからない素晴らしい物語において、誰かに生きる目的をもらった人間はこの上なく生き生きとしており、やがてアシェラッドはブリタニアを統べる正当な王ルキウス・アルトリウス・カストゥスの名でスヴェン王殺しの罪を被り、すべての未来をクヌートに託してこの世を去った。そのあとの物語は私はこれから読む。