20200401物語

すべての戦が終わり、罪人として処刑されようとするティリオン・ラニスターは生き残った諸侯らの前で弁明の機会を得る。「この数週間、暗い独房で考える以外にすることがなかった。」「我々の残酷な歴史、犯してきた過ちについて。」彼は手枷をはめられたまま天幕の前に歩み出で、生き残った名家や旗主たちの顔を眺め渡す。「人々を団結させるものとは何だ?軍か?金か?それとも旗の同盟か?」「どれも違う。人々を団結させるのは、物語だ」

馬鹿な。と思う・何ということか。と思う・何だこれは、、?と思う。ウオオオオオオ‼︎‼︎‼︎私はその場所にいた。はっきりとこの“目”で視ていた。と言えよう。この世界を支配する権力の車輪を炎と血の暴力でぶち壊そうとした女王デナーリス・ターガリエンは死んだ。彼女ははじめは何も知らない少女であった。やがて野蛮なドスラク騎族の女王となり三体のドラゴンを孵化させると、行く先々の独小国家を燃やし尽くし・狂ったように奴隷を解放しまくった。その人間離れした美貌と危険なカリスマ性から何人もの騎士や傭兵の忠誠を得て、無力な少女は瞬く間に万の軍勢を形成した。やがて七王国を追放された賢人ティリオン・ラニスターと出会うと彼の並外れた知能を買って自身の“手”に任命し、ジョン・スノウの説得に応じて“長き夜の戦い”を迎えるため北部の勢力と同盟を結んだ。そして凄まじい数の人間の意思が練り混ぜられ・形を変えた運命のわずかな一捻れが、“夜の王”を打ち砕くアリアとブランの剣となった。しかし“長き夜”が明けてもまだ、生者同士の戦争は終わらなかった。デナーリス・ターガリエンは自身が地上の生苦を解き放つ運命の救世主だと信じて疑わない。玉座の正当継承者であるジョン・スノウの存在に不安を感じながらも、残った一頭のドラゴンと異国の残虐な賊軍を連れてついに王都キングズ・ランディングに攻め入った。人殺しと物乞いで溢れるわけのわからない世界で、あとは彼女は目の前の玉座を掴み取るだけだった。

しかし物語とは何なのだろうかと思う。「人々を団結させるのは物語だ。この世で物語以上に強力なものはない。誰にも止められない。敵に敗れることもない」 すべての戦が終わった後、ティリオン・ラニスターはそう言った。彼は小人症だった。その特異な容姿ゆえ実の父に憎まれ・姉に疎まれ、誰からも望まれず生まれた彼は自身の呪われた運命とチューニングを合わすべくいつもベロベロに酔っ払っていた。乳房とワインが彼の神であり、毎夜娼婦を相手に下品な冗談を振りまいては汚い犬小屋で杯を片手に眠り、朝になると冷たい目を向ける家臣どもを嘲るようにニタニタ笑いながら王宮の招かれざる家族のもとへと帰った。「なぜそんなに本を読む?」あるとき“壁”への道すがらジョン・スノウが彼にそう尋ねたことがある。彼は書物から目も上げずに「俺を見てみろ、落とし子。何が見える?まるで哀れな小人じゃないか。俺の唯一の武器は精神だ。お前らが剣を研ぐように、俺は精神を研ぐのさ」と言った。彼は玉座のゲームを好奇心で楽しむ異常者であった。良い奴だった。おしゃべりで減らず口の弁論家だった。言葉は彼の武器であった。そしてまことに数奇な運命を辿った。ブラック・ウォーターの戦いでは王都に攻め入るスタニス・バラシオンの水軍から民衆を守るために戦い、顔に大きな傷を負った。しかし彼の勇気と知性により守られた王都の貴族と民衆たちは、のちに彼がジョフリー王殺しの容疑で裁判にかけられたときその恩に対して下劣な好奇心で応えた。民衆は彼の英雄的行為に報いるよりも、単に小男がぶち殺されるのが見たかったのである。証人席を立ち代る物乞いの役者どもは最初から彼を有罪と決めつけ、かつて永遠の愛を誓い合ったはずの恋人も愚かな出来心から彼を裏切った。すべては彼の父と姉による、家族の邪魔者を殺すための陰惨な出来レースだった。被告人席から身を乗り出しすべてを呪うように感情を爆発させた彼の言葉が忘れられぬ。「裁判長、罪を告白します。ただし王殺しのじゃない。もっと大きな罪で有罪だ。この身体に生まれて有罪だ!この身体のせいでずっと裁かれてきた。王都を守ってやったのは誰だ。お前らを守ってやったのは誰だ。お前らなんか皆殺されればよかった。お前らが思ってるような怪物に俺もなりたい。そしてお前らを殺したい」 処刑を言い渡された彼は兄ジェイミーの慈悲と宦官ヴァリス公の手引きで東のエッソスへと亡命し、空虚な王国の舞台袖から降りた。すべてを失った彼は、去り際にラニスター流の借りを返していった。もしかしたら彼はただ確かめたかったのかもしれぬ。長い夜の階段を下り、城主である父の寝室に忍び込むと、ベッドに横たわるかつての恋人の首をその手で絞め殺した。そして彼女を寝取り、あまつさえ無実の罪で自分を処刑しようとした実の父の胸にクロスボウの矢を向けた。「俺は生まれない方が良かったのか?」「馬鹿を言うな。ティリオン」父の声はあくまで落ち着き払っているが、内心では衛兵を呼ぼうとしているのは明らかだった。「お前はラニスターだ。私の息子だ」「女を殺したよ」「構わん。ただの娼婦だ。それより大事なのは息子であるお前の…」矢の一発目は右肩に突き刺さり、二発目は左脇腹を貫通した。ということだった。彼の父親は目の前でぐったりと生き絶えた。死んだ。地位も名誉も愛情も、生きる目的さえも失った彼は東の異国をさまよい、やがて奇妙な旅路の果てにデナーリス・ターガリエンと出会うことになった。およそ玉座に似つかわしくない純粋な理想を掲げる彼女のなかに新しい国家の可能性を見出した彼は、デナーリスの“手”となり今度は敵として家族のもとへと舞い戻ることになった。

しかし新しい国家の可能性などというものが果たしてこの先にあるだろうか。と思う。この世を支配する暴力の歯車を破壊するために玉座を求め続けたデナーリス・ターガリエンの物語は、その多くが悲劇的な結末を迎えたものとして描かれている。慈悲も、理性も、野心も、不安も、いつしか狂ってわけわからなくなり、〈暴力〉という名の失われた王朝そのものの化身となった彼女は、罪なき人殺しと物乞いで溢れる世界をドラゴンの炎で燃やし尽くしてしまった。彼女に夢を見て・美しい理想を重ね、その行く手を阻む敵をすべて排除してきた家臣の者らにとって、王都を焼き尽くし灰の女王になった彼女が放った言葉は自らの過ちを知るに大いに足るものであったと思う。「あなたたちは約束を果たしました。鎧を纏った私の敵を殺し、彼らの城を破壊しました。七王国を私のものにしました。王都の人々を暴君から解放しました。」

「戦いはまだ続きます。この世界のすべての者を解放するまで終わりません。ウィンターフェルからドーン、ラニスポートからクァース、サマー・アイランドから翡翠海“ジェイド・シー”まで、すべての女、男、子供たちは、長い間権力の輪の下で苦しみ続けました。私と共にその輪を破壊しましょう。」

王都の民衆を女子供ふくめ一人残らず焼き殺し、彼女の眼下に集うのは意思なき暴力兵器と化した穢れなき軍団“アンサリード”と獣のような雄叫びを上げている野蛮なドスラク騎族の軍勢であった・完全におかしくなっていた。ただの暴力の車輪になっていた。なぜこうなったのかわからない。でもわかる気がする。ティリオン・ラニスターは彼女を間違った未来へ導いてしまったことを深く悔いた。だが私はそれで良かったと思う。それで良かったというよりも、彼女はそうでしか生きられなかったと思う。そうでしか生きられなかったというよりも、人間は単純に生まれた以上何かをしたいと思うものであり、たまたま生き延びたのならば尚更そうだと言える。そして各人の物語がどんな形で終わったとしても、物語はそうでしか生きられなかった人々を“そうでしか生きられなかった物語”として物語化してくれる気がする。そしてそれが涙になる気がする。何が言いたいのかわけわからない。だがデナーリス・ターガリエンの物語は悲劇じゃなかった。と、私は言いたい。そして彼女を語り継ぐことによってそれを証明したい。彼女を神格化し、奇跡の女王になぞらえた他でもないその家臣らの手によって彼女は殺され、潰えた夢は一頭のドラゴンと共に歴史の彼方へ飛び去ってしまった。七王国の一時代に生きた彼女の人生を『英雄の没落劇』などと言って一括りにしたくない。殺したり殺されたりすることをドラマチックな悲劇のように話したくない。と思う。敵の芽を摘むたびに敵が増え・またそれ以上の敵を殺し、最後にはわけがわからなくなり全部燃やしてしまった彼女の行いがすべて間違いだったとしても、動物が動物を殺すのは普通の出来事であり、食べたりジャンプしたりするその多彩なアクションの一つに過ぎず、生きるために殺す場合もあればそうでない場合もあり、私たちは動物であり、動物は必ず動物を殺し、そこに正しさや間違いの概念はなく、没落や栄光の概念もなく、だが人を殺してはならない。人の幸せを奪ってはならない。それでも殺すときは殺すし、殺されるときは殺される、というのが当たり前の事実で、彼女だけが特別な人殺しなのではない、と言いたい。彼女は闇に堕ちたのではない、と言いたい。彼女は間違えたが、間違えるだけ頑張ったのだと、言いたい。彼女は運命の救世主などではなかったのだと、言いたい。彼女は〈デナーリス・ターガリエン〉という物語なのだと、言いたい。私は彼女を死人どもの世界に葬ろうとせず、ちゃんと物語にしてあげたい。と思う。そしてそれは弔いとは無縁の日常の作業・まさしく日記の一部なのだということにしたいと思う。“国家”が物語であるように、“金”が物語であるように、“宗教”が物語であるように、“旗標”や“同盟”が物語であるように、また“男”や“女”が物語であるように、“理想”や“夢”が物語であるように、“東京”が物語であるように、“服”が物語であるように、“政府”が物語であるように、“文化”や“芸術”が物語であるように、“戦、婚礼、生誕、虐殺、飢饉、我らの勝利と敗北、そして過去”、すべてが本当になるまで繰り返し語ると決められた物語であるように、この世に物語以上に強力なものはなく、それは誰に止められることもなければ・敵に敗れることもない。それは生者と死者を繋ぎ止める記憶として機能してくれる。ゆえに“三つ目の鴉”として物語そのものを物語るブラン・スタークの“目”が我々の目になってくれている。私はすべて視ていたと同時に、〈デナーリス・ターガリエン〉という物語と同じ名で呼ばれた彼女を、その記憶に代わって語り継いであげたい。と強く思う。そしてすべての人のあらゆる物語が終わらないということを信じておきたい。