20200326愛

“三つ目の鴉”としての私(視聴者としての私)が巡った七王国中の物語のなかでもやはり、狂気的な愛に生きた倒錯者ピーター・ベイリッシュ公の悲喜劇きわまりないピエロ的人生を思い返すのはまるで一夜の余興にも似た暗い快感があり、、しかし一体誰が彼を笑うことができるだろうか⁈と思う。彼を貫いていたのは狂気的な強さの覚悟と愛の執念であり、身を焼くほどの野心を抱きながら一人の女性の憧憬を追い求め続けたそんな人間を一体誰が笑うことができるだろうか⁈と思う。

そう考えると愛とは一体何なのかと思う。我々の〈物語〉の始まりから終わりまで、愛に生きた人間は皆愚かだった。姉のために世界に火を点けたジェイミー・ラニスターの何と愚かなことか。それが破滅の道だと最初から知っていれば、かつての幼い双子の姉弟は互いを求め合わなかっただろうか・いやそんなことはない。と思う。姉サーセイは自分の幸せと子供たちのために王都の大聖堂をぶち壊し・気に入らない総司教を焼き殺し・狂信と貧困に満ちた民衆の世界を燃やし尽くしてしまった。金獅子を紋章とするラニスター家の血筋にふさわしく、ほとんど破滅願望にも似た激情さと手段を選ばない狡猾さがサーセイをまた貫いており、弟ジェイミーはそれらが愛のすがたであると信じて疑わない。ピーター・ベイリッシュ公もまた例外ではない愛のピエロの一人であり、彼はフィンガーズ岬の貧しい小家で生まれ・幼い頃はアリンの谷間領のタリー家に仕えていた。背が低く哀れに痩せ細っていて、根暗で爬虫類的な印象を与えるおとなしい少年だった(おそらく)。彼はタリー家の美しい長女キャトリンに優しくされると、あっという間に恋に落ちてしまった。それから彼の人生は運命に切り落とされたかのように走り出したと言える。騎士にもなれず名家の嫡子にもなれない・生まれながらにしてあらゆる富と名声への到達の可能性を根こそぎ奪われていた彼は、やがて愛するキャトリンがスターク家の見知らぬ貴族に攫われていってからも、病的な野心と天性の政治経済的洞察力のみで王室の議会中枢の座を昇り詰めていった。陰謀と策略に長けた彼はやがて財務大臣となり王室の金庫をしこたま肥えさせるに飽き足らず、狡知なラニスター家の手先となり当家の姉弟の不義にはじまるあらゆる汚名を隠蔽するべく、当時“王の手”であったジョン・アリンを毒殺した(させた)。アリンの谷間で始まった彼の復讐と野望の旅路は、ついに故郷の領主の喉元にまでたどり着いたのだと言える。そしてこの七王国に住むすべての人間にとって・鉄の玉座を巡る一時代のあらゆる物語の、今となってはこれがすべての始まりだったのだと言える。そう考えるとジョン・アリンという政治家の死には無数の意味がある。スターク家とバラシオン家の同盟の橋渡しとなり、ターガリエン王朝の崩壊の一端を担った彼の死はまた同時に、ピーター・ベイリッシュ公個人にとってはついに惨めな故郷の記憶と決別する、過去精算的な転換点を意味していたと言える・しかし知らない。点の繋がったように見えてもすべては無慈悲な混沌の思し召しに過ぎない。「混沌はハシゴだ」 ことあるごとにベイリッシュ公はそう言った。登ろうとすれば滑り落ち、留まろうとすれば永遠にどこにも行けない。ハシゴはハシゴであり・それはそっくりそのままハシゴとして受け入れなくてはならない。そして“王国”などただの小事なのだと、この世界は本当は“愛”に満ち溢れているのだと、彼はやがて亡きキャトリンの娘サンサ・スタークを前にそう告げ、怒りや悲しみを燃やし尽くすほどの野心を持って悪王ジョフリーを毒殺した(させた)。いや違う・しかしそうだ。すべては本当に愚かな愛の思い違いから始まった物語に過ぎぬ。狂王エイリス・ターガリエン二世の嫡男子レイガー・ターガリエンは後の運命の女王デナーリス・ターガリエンの年の離れた兄貴で、彼はサンサ・スタークの叔母にあたるリアナ・スタークを不当に犯しこれを殺したとされている。リアナを愛した正当な許婚であるバラシオン家のロバートと彼女の兄であるエダード・スタークは大義を掲げジョン・アリンの手引きのもと反乱軍を形成し、いかれた狂王の一族を皆殺しにするべく王都に攻め入った。レイガーは簒奪者だった・卑怯で悪辣な背信者だった。汚れた狂王の血は根絶やしにせねばならなかった。しかしすべてはまったくの誤解だった。レイガーとリアナは本当は愛し合っていたのである。

本当に、本当に、何ということか。と思う。「思えばすべての始まりはロバート・バラシオンが愛した女が彼を愛さなかったせいだ」。すべての事実を知ったティリオン・ラニスターが呟いたその言葉が忘れられぬ。そしてすべて公に書き換えられてしまい・無かったことにされてしまった二人の愛は、もう一人の罪なき赤子の存在をも道連れにしてしまった。その赤ん坊を秘密裏に取り上げたのはエダード・スタークであった。生き絶えようとする妹の口から彼は最後の約束を聞いた。「この子を育てて。この子を隠して」 鉄の玉座の正当継承者であるエイゴン・ターガリエンと名付けられた赤子はその名を永遠に隠され、落とし子ジョン・スノウとしてスターク家に匿われた。それから長い年月が経ち、やがて来る“長き夜の戦い”にてジョン・スノウとデナーリス・ターガリエンが二頭のドラゴンを手繰り“夜の王”率いる死者の軍勢を迎え撃つ構図には、だからこそ普通以上の意味がある。あれは失われた王朝の約束そのものに過ぎぬ。そして“長き夜”を終わらせるに至った因縁の約束はもう一つあったように見える。

あくなき野心と欲望に突き動かされたピーター・ベイリッシュ公は、いつしか自身の身分と運命に対する復讐心と失われたキャトリンへの愛を完全に混同し、まさしく永遠に取り返せない幼少期の幻想を追い求めるがごとく、キャトリンの幻影を強大な権力のなかに追い求めようとしていたと見える。ラニスター家の手先として当家の汚名を守るべく、金獅子の姉弟の近親相姦の場を目撃してしまった幼いブラン・スタークの暗殺未遂を彼が企てたとき、いかにも犯人を示唆するようにティリオン・ラニスターの所持していたヴァリリア鋼の短剣を現場に残していったのは偶然ではなかった。ターガリエン王朝崩壊のすべての元凶がロバート・バラシオンの報われない愛執にこそあったとしたら、ロバート王死後に勃発した鉄の玉座を巡るあらゆる戦の元凶は、ベイリッシュ公の残したそのヴァリリア鋼の短剣にこそあったと言える。すべては彼の徒労に満ちた復讐劇が招いた結果だったのかもしれぬ・だが点と線は繋がっているように見えてもそれ自体に意味はない・混沌はハシゴに過ぎない・しかし“夜の王”を殺したアリア・スタークが最後に用いたのは、そのヴァリリア鋼の短剣であった。かつてブラン・スタークを襲ったそのはじまりの短剣は、今度はブランを守るため、“長き夜”を終わらせるために、英雄アリア・スタークによって使われたのである。何とかっこいいことか。たとえばドラゴンが失われた王朝の約束としてジョンとデナーリス、二人のターガリエン家の末裔を象るものだとしたならば、そのヴァリリア鋼の短剣は物語の外へと永遠にはみ出していった二人(ブランは究極の三人称=視聴者の視点として・アリアは超越的な英雄神として)、物語の部外者となった二人を象るものだったように思える。そしてラニスターの姉弟は愛のために世界に火を点け、ピーター・ベイリッシュ公は愛を実現させるために奮闘し、キャトリン・スタークは愛に駆られ戦を激化させ、ロブ・スタークは愛のために足をすくわれ命を落とし、サムウェル・ターリーは“壁”の向こうで愛を知り、ダヴォス・シーワースは幼い王女のなかに愛を見出し、オベリン・マーテルは愛に代わり報復を目論み、サンダー・クレゲインは愛を知らぬがゆえに彷徨い、ティリオン・ラニスターは真実の愛を失い、ジョラー・モーモントは女王に愛してると告げた、この無数の物語もまたその短剣を発端として始まっているように思える。

またサンサ・スタークはピーター・ベイリッシュ公が亡き母の面影を自身の容姿のなかに見出していることに気付きながらも、氷のような純真さと狡猾さで彼を騙し・あやつり、最後にはこの短剣であっさりと彼の首を搔いて殺してしまった。ベイリッシュ公は最後には彼女に跪き、涙ながら命乞いまでしたのである。こんな結末はわけがわからなかった。全然こんなはずじゃなかった。何のために生きてきたんだ。。わけがわからぬ。彼はキャトリンの幻影そのものに殺されてしまったのである。首を切り裂かれ、「あなたを愛してるんです。あなたを愛してるんです」かわいそうに泣きながら死んでしまった。不思議?なことに、男が女のために死んだり殺されたりする一方、女が男のために政治的な判断を誤ることは七王国の物語においてまったくと言っていいほどなかったと言えよう。また不具者であるブラン・スタークや宦官ヴァリス、汚れなき軍勢“アンサリード”の去勢された兵士なども、愛のために義務を殺すような愚かで正しい間違いを犯すことはなかったと言える。