20200219破産

今は長野へ移動する新幹線の中で窓の向こうビル群の街からどんどん離れており「まなざしの遠さそのもの」がどんどん開けており西部劇の砂漠を見る眼さながら映画のようであると思われ、正直すべてが面倒臭いしこのまま気体と果てしない距離感の中へ溶けてゆきたい気がするがそれは金のなさから来る無気力であることは自明の理というか全部仕方ないというか飢えフェチというものだと思われ、もう私には村岡を救けることもできないがしかし金というものは本当に気になるものであって、もっと言えば社会的な経済感覚というものが私には非常に理解し難く同時に興味深く面白い。しかしこうやって頭が楽しい状態にあるには飢えて痩せ細った身体にある程度の満腹感という快楽を与えてやらないといけないのであって結局人間は「観念のダンス」であると同時に「資本のゲーム」なのかもしれないと思った。26日の引き落としで口座の残額がゼロになると同時に借金をしなくてはいけなくなりしかし母と祖母に沖縄旅行をプレゼントすることは私にとってこのような敗北的なヒロイズムを味わうことが目的だったのではなく単純に「払う」と言った手前「やっぱり無理でした」と言えなくなったのを諦めただけでありその先は飢えたいフェチを楽しむだけのおままごとだが結局一ヶ月もすればまた給与が入るから死ぬことはない・しかし本当に飢えて死ぬ人もいる。飢えて死ぬ人は食卓の上人から見れば資本のゲームの脱落者であることになると思う。でも可哀想だと思わないか。思ってもそれは他人だから我々は関係ない。でも可哀想だけど単純に一個の身体という資本が燃料切れで尽きただけの現象であることは間違いない。「命の大切さ」はその後に作られたひとつの近現代的な観念に過ぎない。しかしそれよりも金というものがこの政治経済的オープンワールドによっていかに複雑かつテクニカルに機能するか非常に面白い。会社同士のやり取りになると尚面白く、まさに建築業界などは「責任」や「思いやり」やある種の「縁」や「恩」など、目には見えず各人の頭の中にだけある(ない)観念を物質という三次元の拒絶体が現場において究極的な形で担保してくれるのと同時に、それらはすべて貨幣制度の交換価値に置き換えられまた別次元の抵当物質になる(のか?)。気がする。知らない。あと税金などがあってよくわからない。そもそも見積もり金額を叩き出す際に、掛け率なるものを適用する意味が何度調べてもわからないし頭が理解できないし何でそのあとNET金額なるもので計上するのかその「意味」や「目的」が理解できない。やり方は算数だからわかる。なぜなら各人の経済感覚はほとんどそのまま対人コミュニケーションの感覚に繋がっていると思うので、私は絶妙にテクニカルな距離で他人と社交ダンスをするなんて出来ないし・出来るかもしれないがキモくなるし単純に自分の欲望的にやりたいと思わないゆえ脱税や賄賂などの闇金的なものも、資本のゲームの苦手さゆえ手がつけられないことはおろか、個人的な破産も目の前に迫っているということだと思う。