20200204メモリの無駄づかい

金を稼ぐ必要無い&将来のこと考える必要無い&他人にどう思われるか考える必要無い&食べていく必要無い・というのはわかってるが飢えるのは苦しいでも自分が楽しいと思うことをなるべく休憩しないでやり続けて疲れて死ぬのが一番良いことわかってるが飢えるのは苦しいと思うおそらく生きていて一番苦しいと思うあとは身体の痛みが同じくらい苦しい。と思う。しかしそれがどうしたかというと単純に自殺を視野に入れている人間が私は好きだと思う。そこはぼやかしてはいけないような気がすると思う。ぼやかすというのはたとえば精神的装飾みたいなもので生死というか時間というか人間の行いというものを、耽美な感じに彩るのは良くないというか単純に自分は好きではないと思う。自殺は単純に代引きか引き落としか的な選択肢の問題であってほしいそして自殺のことをちゃんと「自殺」ってハッキリ言えた方が良いような気がする。あともっと言えばいつでも自殺できる人でいた方が良いような気がする。近現代の死生観が色んな物事の考え方の根幹にあるということは誰でも知ってても本当に大事なのはいざ自殺するときにちゃんと自殺できるかという手順の問題になると思う。しかし死にたくない。死ぬには痛いことを越えないといけない。電車に飛び込むとしたら電車に自分の身体がぶつかる一瞬・待つあいだ絶対嫌だと思う。あと当たった瞬間のことや数秒後に自分の身体がどうなるか想像すると絶対電車で自殺したくないと思う。しかしビルから飛び降りるとしても電車が地面に変わっただけのような気がするが自分の身体が落ちていくのを全身で感じるのは絶対良いと思う。しかし同時にまた人はかっこよく死のうとする傾向もあると思うがやはり人間は「かっこつける態度」&「身体の気持ちよさ・悪さ」のふたつしかない気がするがだからこそ〈楽しいかどうか〉が一番強いのだと思う。しかしそれらはすべて普通のことであってよくある話だと思う。しかし自殺は妖しいことや悲しいことや魅力的なことではないと思う。しかしそう書くと「賛美の態度」に思われるかもしれないが単純に選択肢のひとつとして自殺はしなくてもいいけどしてもいいという話だと思う。しかしするかしないかは最後に考えるとして気持ちは今のうちにウォームアップしておくというのが健全かつ溌剌たる態度だと思う。しかしそれは判断を保留しているだけではないのか。本当は今すぐ死ぬべきではないか。そのせめぎ合いはしかしメモリの無駄づかいというものだと思う。