20200120新年シンナー死

止まっている物体に力を加えなければその物体は止まり続ける。(動いている物体に力を加えなければその物体は動き続ける。)すなわち私の生活における摩擦係数のリズムは今まさに限りなくゼロに等しくなろうとしており、あらゆる観念が観念により洗い流される無常の慈雨のごとく、頭の中はシンナー的幸福感・麻痺感・飽和感に満たされており、映画を見るたびに映画表現というものの素晴らしさに感服・感動するが、それを言葉で説明しようとは思わない。映画を見ている間の楽しさから一時たりとも離れたくない。(頭で考えたくない。)おそらく映画や音楽やその他の政治哲学経済について「考える」ことは意味がないのだと思う。しかし「意味があるか・ないか」は人間の活動の根本的な動機にはなり得ないと思う。そもそもこうやって書き言葉で考えている時点で意味=無意味の人工世界の活動だと思う。我々の行いの根本動機になり得るのは「楽しいか・楽しくないか」それだけなのだと思う。その上でこの頭の考えとは、日常生活のあらゆる運動における最大の摩擦であると思う。つまりそれが限りなくゼロになるということは、私の生活という運動がひっきりなしに動き続ける・進み続けるということであり、私にとってそれはシンナーのように安い快感がありつつ不満やわだかまりが残ると思う。しかし何をやっても意味のあることなんてない・かと言って無意味を極めるには大変な苦労がいる・ゆえに日常の楽しさが気にかかる。しかし考えても意味がない。意味がないのではなく楽しくない。考えることが楽しくないなんてありえない。ありえないなんてことはありえない。つまり目の前のことを楽しくなるまでやり続けるしかない。(もしくは自殺)