過去のメモ

 

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「物理的な抱擁」(一緒にいたい・話がしたい・触っていたい)という主題が14曲ぶんの変奏曲としてオーロラのように展開していると思う。メロディや音色はクリーンかつ軽やか・とにかく浅はかで一見すると中身がないように思われると思う。しかし楽曲としては美しく構成的な転調など多く見受けられると思う。後半の8〜15曲は驚くべき展開でぜんぶ同じ曲に聞こえるだけでなく歌詞もすべて同じことを歌っていると思う。それは『アリア』においては“僕らはお揃いの服を着た別々の呼吸違う生き物 見つけたら鏡のように見つけてくれたこと触ったら応えるように触ってくれたことオーオーオー何も言えなかったオーオーオー何も言えなかった”また『話がしたいよ』においては“身体と心のどっちにここまで連れて来られたんだろうどっちもくたびれてるけど平気さお薬もらったし飲まないしああ君がここにいたら君がここにいたら話がしたいよ”また『アンサー』においては“心臓が動いてることの吸って吐いてが続くことの心がずっと熱いことのたしかな理由を君が持っているからそれだけわかってるわかってる僕だけわかってるわかってる”また『望遠のマーチ』においては“身体は信じてるよ君の全部を

行こうウォウ行こう希望ウォウ絶望ウォウウォウ行こうウォウ行こう行こうウォウウォウ”また『Spica』においては“手を取ったときそのつなぎ目が僕の世界の真ん中になったああだから生きてきたのかって思えるほどのことだった汚れても醜く見えても卑怯でも強く抱きしめるよ”

また『新世界』においては“天気予報どんなときも僕が晴れ君が太陽この身体抜け殻になる日まで抱きしめるよベイビーアイラブユーだぜベイビーアイラブユーだ”

しかし歌詞の「意味」は本来音楽の「音」とは別のところに属しているはずなのに、私という存在の根本的な好みとして(R.E.M.BLEACHなどの言葉の言い回し的なセンスなどにも通じて)BUMP OF CHICKENMr.Childrenを歌詞ありきの歌ものとして好きでいずにはいられないのだと思う。R.E.M.は1987年に「document」というアルバムを発表しておりこれに収録されている曲は「炎」という主題のいくつかのバリエーションであることがマイケルスタイプによって明言されている。歌詞の端々に何かが燃えるイメージが現れる・そしてR.E.M.とはその全体のキャリアを通じて歌詞やメロディやフレーズの断片による「部分の相互補正」をひたすら行うことによって曲単位での境目を消していたのだと思う。(わざと似た感じの曲を大量に作り続けていたのだと思う。)

そういった意味においてBUMP OF CHICKENの「aurora arc」は「物理的な抱擁」という主題のいくつかのオーロラ的バリエーションであり、おそらく一曲単位で聴いても普通と思われるかもだが8〜15曲目の展開が何より素晴らしいということだと思う。