20191119わたしは光をにぎっている

という映画を見た。しかし私はあらゆる文学的な情緒性を週刊少年ジャンプ的な想像力へと変換したい。する。したい。したい

清水の文字を使えば『光を握りつぶす』といったところかと思う。『掌をひらくとそこには何もない』ということかもしれない。彼は自分でも気づかぬまま頬を濡らすかもしれない。もしくは同時に笑っているかもしれない。まったく同じシーンはジョーカーという映画にもあった。泣きながら笑っていたというか、笑いながら泣いていた。でもどっちも同じことだと思う。

だが私は泣いた。『わたしは光をにぎっている』という映画について何をどう語ってもありきたりで意味のないことになると思う。というよりこの映画は『わからないところがない』と思う。そこへいかにして新しい視座を示すか、、それは週刊少年ジャンプ的想像力を導入するしかないのではないか。と思う。しかしそれよりも、安易で実直でシンプルな普通の映画であり、私はエンドロールで涙が出たがマスクをしていたため周りにはバレなかったと思う。

なぜ泣いたのかまったくわからない。しかしすべて説明できる。その自明さを前に、「週刊少年ジャンプ的想像力という新しい視座を導入する」?など、私は単にヘソを曲げているだけに過ぎぬと思う。認めてしまえば楽になる。おそらくある種のピュアネスに過ぎなかったと思う。生活の美徳、純正の哲学、「ささやかな幸せ」「真面目な生き方」、それらほとんどまがいものとも言える感性に彩られた画面と主演の演技に私の心は屈服し、いわば脳に直接ハート型の電極を差し込まれたように『おっ、、、おっ、、、』と思った。

おっ、、、おっ、、、』と思った。でもそれは夢ただの夢。言い過ぎてしまった。おお言い過ぎてしまった。まだ何も言ってないのに

ちゃんと考えて書くようにしないと映画に失礼