20191116歌詞の意味づけ②

疲れの取り方を学ばなければいけないと思う。でも「疲れ」というのは勝手に自分がかっこいいと思っている馬鹿なダンスだと思う。頭の悪い社会人は疲れてる自分がかっこいいと思っているのでその通りに舞って「大人」になった感じでいるが本当は彼は何者にもなっていないと思う。というかやはり退屈な観念でチョロチョロ舞うより一人で絶頂ッてしまったほうが良いと思う。そっちの方が私にとって一番「真面目」で「真剣」だと思う。あと「誠実」だと思う。あと「面白い」と思う。「笑える」と思う。誰の目から見てもほとんどの人は器量が小さすぎると思う。あと「お昼休み」が好きすぎると思う。「お昼ご飯」とか「お買い物」が好きすぎると思う。俺も大好きさ。だがイグのが最善だと思う。たぶん人は暇を潰そうとしているだけだと思う。だが私は人に優しくあらねばならないと思う。だがなぜ人に優しくしなくてはならないのか全く説明ができない。人に優しくあるにはひたすら思考力が必要のような気がする。そして頭・首・肩・背中・腰・足とにかく疲れる。しかし疲れは疲れで疲れたまま舞うのが人にとってある種の「ごっこ」であり、犬が好んで自身の尻尾を追うように奇態で風変わりなお遊びだと思う。人と呼ばれる動物、それは私と呼ばれる自分であり、俺は人なんだと思う。だから舞うのが好きで好きでたまらないんだと思う。そもそも「舞う」とはレディオヘッドのプレゼントテンスという曲。

“このダンスは

このダンスは

武器のように

武器のように

自己防衛のための

自己防衛のための

現在への

現在への

現在への抵抗

いいえ。私は重く捉えません。

重く捉えないでください。

気を軽く持ってください。

そのまま動き続けてください。

私はやり続けます。

傷つくことはひとつもありません。

私の世界がバラバラに崩れるとき、

私はダンスしていると思います。

私は頭がおかしくなっています。

耳が聞こえません。

口がきけません。

目が見えません。

私は迷子ですあなたの中で

私は迷子ですあなたの中で:以下くりかえし”

なるほどー❗️となり、人は皆幸せになると思う。だからあくまで現代社会的に見れば2019年現在で「大人」と呼ばれる世代に属する人間または「学生」と呼ばれる世代に属する人間すべては、素晴らしい世界をいかにもくだらないダンスでチョロチョロ舞っているということになると思う。つまりほとんどの人は頭が悪いということだと思う。でもまたこうやって「他人の人生にケチつける」ことやってる限りは自分も彼らと変わらない素人の振り付けであると思う。そもそも世界が混沌ならば個々の振り付けに差や質なんてないはずで、絶頂グ人はイギダイからやっているだけのそれはそれで好きなことをやっているだけの一般人に過ぎないと思うしただ単に私は性格が悪いんだと思う。イッでぎまーず❗️(イッてらっしゃーい❗️)