20191112快楽に屈する

たとえば何かを書こうとすると、たとえば日記

『今日は11月12日、東京は晴れ』

その中で、

『「今日」という概念は便宜的なもので、暦は数字で太陽暦で、ナイル川の氾濫を予知するためのツールで、数字や言語は未来を予測し指示するための武器であると同時に発狂の砂嵐から身を守るための観念のシェルターで…』

そういうことを考える中で、

『しかし世界のありとあらゆる観念がカギカッコで括られているという事実・その前でいちいち立ち止まり首をひねりながら舞うなんて、いかにも非効率的なダンスじゃないか』

そう思うことの中で、

『しかし「社会人」は皆、きっとここで頭の容量を使っていない、だから疑うことなくスムーズにハキハキと喋ることができ、非常に効率的に「資本主義」の「業務」に「従事」することができ、「効率的」な「生産活動」…。「需要」と「供給」、「お昼休み」…。いつか彼が「学生」だったときから一度も疑うことなかったであろう安心・安全なシェルターのなかで「彼女」を作りやがて「結婚」への順当な「手続き」…それをやる最高のゲーム…』

そう思うことの中で、

『俺は何を考えているんだ。そんなことより自分の欲望を見つめるんだ』『俺は俺でなくてはならないような気がする』『しかし不安だが嫌われても仕方ない気がする』的な「内面」のおままごとをやるとウケる。

『「俺」「自分」「私」すべて観念…自我や自己などというものは無い・もしくは有る。しかしハッキリしていることは〈俺〉は混沌のゲームを楽しむためには〈私〉でいないといけない〈自分〉だということで、似たような台詞をティエリア・アーデが言っていたような気がする…。ティエリア・アーデガンダムマイスターの紫でガンダムヴァーチェに乗ったりセラヴィーガンダムに乗ったりしていた…。そして大型の大砲だった…。しかしやりたいことや言いたいことは勇気を出して言った方が楽しいはず。しかしなぜこんなことを考えているかというと全くわからない』

しかし何がどうなっているのか全然わからない。わからない…わからない…と思う。しかしそれは性的な快感でもあると思う。このわからなさ…もう完全に身を預けてからが本番だという気もする…ゆえに絶頂ッてしまう。