20191109根拠のない自信?

生まれてから24年ほど過ぎた。西暦1995年という限定された時代の日本という限定された地域に生まれた。最初に両親から言葉を学んだ。次におそらく数字という概念を学び空間や時間というもののなかで大いに遊んだ。身体や頭をたくさん使った。園児として幼稚園に通った。学生として小学校から中学校へ通った。子供や大人という概念があることを学んだ。家族や他人という概念があることを学んだ。地理や歴史や科学や哲学のより体系的な知識を学んだ。徐々に社会と呼ばれるものを学んだ。受験勉強をして高校へ進学した。生や死という概念を学んだ。男や女という概念を学んだ。それから両親の金銭的な幇助のもと大学へ進学した。芸術という概念を学んだ。それからとくに理由はなく会社へ就職した。仕事や制度という概念を学んだ。すべてはゆるやかな立体イメージであった。頭の中の知識や情報が徐々に現実という3Dイメージとして立ち上がりつつあるということだった。2018年になると異動により業務内容が過激になった。さまざまな出来事を経て2019年になると炭素とガラスが練り込まれたように強くなった。それから徐々に平穏が戻りつつあった。それから11月7日に出張と呼ばれる業務で長野県へ移動した。翌11月8日には普段の業務内容とは異質な「接待」と呼ばれるものに参加した。社会的な言葉でわかりやすく言えば私は営業部長の手元役だった。つまり適当に話を合わせたりさりげなく荷物を持ったりする役割だった。社会的な言葉を用いるとすれば、もっと言えば言葉とはふつう社会的なものだと思われるが、とにかく私は意外と楽しみで実際楽しかった。なぜ楽しかったかというと私は人間や人間がつくるものについて考えるのが好きだと思う。つまり現実という三次元イメージのなかに自身にとって未知で異質なものが飛び込んでくるということに果てしない緊張と快楽をおぼえるということだと思う。私という人格はおそろしく話し言葉が苦手で声が小さい。なぜこのような性格になったのかはよくわからない。しかし大きな声でハキハキ喋ろうとすると疲れる。パッと明るく笑ったり驚いたりしようとすると疲れる。疲れるのは嫌いじゃないと思うがしかし苦手なことを無理してやろうとすると人間はきわめて不自然で不気味なダンスになると思う。そしてとくに接待と呼ばれる外交業務などでは不細工な振る舞いをすると宜しくないと判断したので俺は俺としていつも通りにしようと思ってその通りにした。ちゃんと敬語を使って荷物も持ったし空気も読んだ。もしかしたら「根拠のない自信がある」といつか畠山に言われたのは、そのとき自分では心外だと思ったが今ではこういうことなのかもしれないと思った。清水にも「お前は免罪体質だ」と言われたのもこういうことなのかもしれないと思ったが自分で自分のことをウットリ考えているような気がしてキモくなってやめた、が本当は興奮した。少なくともこの数ヶ月私は人と話すとき実験的に「部屋にいるようにそのままでいる」ということをやってみたがまったく問題が起きなかった。これは私にとっては小さな発見だった。おそらく人は既存の社会人のイメージに同化しようとしなくても一番楽な振り付けで舞えば自然に好かれるのだと思われる。もしくは嫌われるときは嫌われるが不自然なダンスをするよりは無駄に疲れないし相手にとっても良いのだと思った。おそらく私はやや人の目を気にしなくなったのだと思うが、接待のときも同じようにしていたらやはり普通に親密になった。具体的にどういうことをしたかというとたとえば会話が途切れたり沈黙が続いたときもそのとき自分が続きを思いつかなかったりやる気がなかったら別にそのままにしておくという地獄みたいな方法だったが、その代わり気になったことや思ったことは失礼にならなければ全部しゃべるという天国みたいな方法だった。しかしそれは当たり前のことなのかもしれない。おそらく私は最近になってほとんど初めて社会的な会話というもののやり方を学び始めたのかもしれない。しかしこれは本当に小さな発見だった。おそらく入社以降に築かれた私と他者のあらゆる親密な関係はこの方法で樹立されたと思う。今回私が補佐した部長もそうだから一緒にいると非常に感動的だったと思う。おそらく接待という言葉が連想させるような暗い要素が一つもなかったと思う。実際は清濁あわせて全部カオスの素晴らしい世界であって嘘やペテンや利害の応酬は我々の会話のそこかしこにあっただろうが私も部長も相手方も、相手方は三人いたが、その全員がほとんどだんだん互いを信頼し始めていた。しかしそれはその場にいなければわからないライブの世界だと思われ、こうやって書き言葉で説明しても「嘘くさい」「変に啓発的」「リクナビマイナビ的おためごかし」と思われても仕方ないと思う。だが私はこの発見を有用かどうかは別にしてメモしておきたかった。三日間の長野県だったがひと時も休憩がなく夜は強制的なアルコール投薬と睡眠時間の削減が行われたため最後には誰も何も喋らなくなった。一番記憶に残っているのは旅館の屋上の露天風呂で全員が酔っていて裸で、私は前みたいに部長に促されて古代ギリシアの英雄性について調子に乗ってペラペラ喋って「でも私は今はこんな英雄性なんてきな臭いもの真剣に信じていません」と私が誤解されないように力説したら「それは知らん」と言われたのが的確なツッコミだと思ってウケた。社会人の『仕事ができる男』という役者たちはみんな英雄性の話が好きだと思う。おそらく頭が良い人であろうとしている人というのは意外と怒らないから、私がたとえば仮にでもやや挑発的なことを言ったとしても「まあこんなものか」と思ってくれるのだと思う。もしくは単に彼らからしたら私という見た目と口調と声音と存在のすべてが若いのかもしれない。