20190606アイスランドの日記

シガーロスは故郷のアイスランドの風景をそのままメロディへと変換したと言われているが

しかし景色は最初からメロディなのではないかと私は思った。

そしてその景色は私がこうして地上の人間世界の特定の座標軸の上に存在している限り、たとえば日本というアジアの島国のとある東端のまた行政上に区分されたとある市区町村のとあるアパートの一室のなかに唯物的な一個のボディを有したアニマルとしてそこに存在している限り、同時にあのアイスランドという景色・メロディも、絶対にどこかに存在しているはずだと私は思った。それを現にこの目で確かめに行くというのが、このたびの私の目的のひとつであった。それと同時に実際に海外へ行くということが具体的にどのような手続きを持って行われるのか知るための機会だった。実際は簡易的で事務的な手続きの連続だった。ほとんどゼリーの中の果実の種を掘り当てるがごとく済むものであった。世界中のどこへでも私たちは簡単に行くことができた。家を出て成田空港からスカンジナビア航空の飛行機に乗ってデンマークコペンハーゲン空港で降りた。昼の11時に出発して22:30まで飛行機に乗っていた。しかしデンマークに降りると昼だった。太陽が東から西へ地上の方角を去ってゆくのに私たちはひたすら西へ移動していたため、しかるべき私の時計が夜を指しても闇がやって来ないということであった。国際線の搭乗券に記載されている時刻はあくまでそれぞれの現地時間だった。11:04Narita→15:30Copenhagenと書いてあるのを実際は11時間近くシートに座っていた。窓側の席で外を見ていた。隣は中南米系の40代過ぎの男だった。機内アナウンスのすべてが英語のため何を言っているのかわからなかった。初老の金髪のキャビンアテンダントが私に向かって何か言ったが何を言ったかわからなかった。私はビアー・スプライトと言うとその通りにくれた。隣の男は慣れていた。細かく注文していた。ビールと赤ワインとウイスキーと炭酸飲料のようなものを頼んでいた。課金でスナック菓子を注文していた。座席のモニターでファンタスティックビーストを見ていた。笑っていた。持ち込みのアーモンドチョコと今買ったスナック菓子を食べていた。しばらくして機内食が出た。焼きたてのゴマのパンとバターとチーズとクラッカーとサラダとトマトソースの鶏肉とポテトが出た。となりの男はパンが温かいうちにナイフを入れてバターを差し込むと映画を見ながらそれにかぶりついた。チキンと一緒にそれを食べビールを飲むと最後に赤ワインを開けて残しておいたクラッカーとチーズと共に飲みはじめた。私は帰りの飛行機でこのやり方を真似した。それから彼はファンタスティックビーストを見終わるとミスターガラスを見はじめた。ウイスキーの小瓶を開けて新しく買ったスナック菓子を食べはじめた。私は運び屋を見た。そのあと女王陛下のお気に入りを見た。そのあとグリーンブックを見た。デンマークへ着くと夜中ではなく昼だった。

それから乗り換えてデンマークを17:30に出た。2時間乗っていたのにアイスランドのケプラビーク空港に着いたのが18:40だった。そのとき日本はだいたい深夜の3時半だった。それから1時間ほど空港でバスを待った。待っているあいだ通貨を両替した。アイスランドは気温が8度だった。秋か冬の空気の張り詰めた感じだった。そして空港の外はコンクリートの冷たい感じだった。そのなかにジェット機の鉄の焼ける匂いが完全にストーブの匂いだった。両替の受付の女性に55番バス乗り場がどこか聞くと「下へ降りて…」と言った。その後の言葉は聞き取れなかった。彼女はなにかの裏紙に道筋を描いて、

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「わかった?」と言った私は「トライ」と言った彼女は笑って「がんばって」と言ったがそれは心温まる異文化の交流ではなかった。彼女の顔は表情筋のおぞましい躍動だった、彼女が憐れみから笑ったのか情愛から笑ったのかまた一種の諦観から思わず笑みを漏らしたのか文化が違うのでまったくわからなかった。しかし彼女は微笑んで「がんばって」というようなことを言った。私は手書きの地図を捨ててグーグルマップでバス停まで行った。バスはアイスランドの20:55発だった。そのとき日本で朝の5時半だった。昨日から続けて24時間ほど起きていることになった。バスに乗ると運転手から「where you go?」と言われた。私は地名を指差して「I can't read this」と言った。運転手はそれを見て「1,880kr」と言った。アイスランドクローナという名前の通貨だった。2,000クローナ渡した。席へ着こうとしたら「チップをくれるのか?」というようなことを言った。本当はなんて言ったのかわからない。私が「ノー」と言って手を差し出したら釣りをくれた。バスは1時間ほど45kmを行った。ホテルの近くのバス停で降りたのが22:05だった。アイスランドは日照時間が長くほとんどまだ真昼の明るさだった。私は海沿いの坂道を歩いて行った。誰も人がいなかった。あたりは甘草のハーブの匂いなのかわからなかった。甘ったるい杉花粉のような匂いが充満していたこれはアイスランドの匂いだった。途中でふらふらした男が道を歩いているのに出くわした。私が追い越そうとすると彼はろれつのまわらない口調で「are you ok?」と言った。ホテルに着くと22:30だった。ゲストハウスというところだった。部屋に二段ベッドが4つあった。仕切りはベッドのカーテンだけだった。二泊三日で6,000krだった。1kr=0.86jpyだった。しかし入口のドアに鍵がかかっていて開かなかった。私はあたりを見渡して夜の22:30だった。しかし真昼のように明るくあたりは誰もいなかった。郊外の路地を入ったところにある建物だった。首都のレイキャビクから8kmほど離れているところだった。車道を挟んだ向こう側にスーパーとケンタッキーとタコベルがあった。ゲストハウスのとなりには車のスクラップ工場のようなものがあった。通りの向かいには何が書いてあるかわからないアイスランド語の店があった。ドアに電話番号が書いてあったので電話をかけると私はチェックインしたいと言った。女性が出て左のナンバーを押せと言った。ナンバーは1,size,1,size、だと言われた。サイズの意味がわからないと私は言った。彼女は1,size,1,size繰り返した。サイズの意味がわからないと私は言った。#か♭のことをアイスランドではsizeと言うのかと思ってその組み合わせで押した。しかしドアは開かなかった。今行くから待っててと言われた。中から若い女性が出てきてドアを開けながら「1,5,1,5」と言って私を招き入れた。ファイブがサイズに聞こえたと説明したかったが私は英語がわからなかった。女は挑発的な目つきと口元だった。腰元に手を当てながらしゃべり続けて部屋は階段を上がって7番でシャワーはすぐそこだと言った。靴はここで履き替えてベッドは空いているものをどれかひとつ選べと言われた。私は部屋に行って休むとシャワーを浴びて寝た。

朝の9時頃に起きたので8時間は眠った。カーテンを開けると夜の明るさと同じ明るさだった。日照時間が長く私はついぞアイスランドの夜は見たことがなかった。ゲストハウスはベッドとシャワーとキッチン等を提供するだけで生活用品は置いてなかった。シャンプーが使いたかったが持ってきてなかった。アイスランドのシャワーは温泉が出た。キッチンの蛇口からも温泉が出た。身体中が硫黄の匂いになって石鹸がないから消せなかった。ゲストハウスを出ると世界最北の都市レイキャビクまで9kmほど歩いて行った。1時間半ほどかかった。その日は日曜日だった。民家に人影がなかった。人がまったくいなかった。車は少し走ってた。車道の端や丘の草原を歩いて行った。途中で鐘が鳴って時計を見ると10時だった。鐘の鳴るほうを見ると巨大な塔があった。先端に十字架があった。後から知るが国民の75%はキリスト教ルター派に属するが礼拝に通う信者は驚くほど少ないとのことだった。その他は古代北欧の神々を信仰している異教徒が各地に3,500人ほど散在しているとのことだった。レイキャビクは“煙の入江”という意味だった。ちょうどマコンドという町を築き上げたブエンディアの一族のようにレイキャビクにも語られるべき物語と伝説があるとのことだった。後にアイスランドと呼ばれる巨大な火山島に最初に上陸したのはインゴールヴルという名前の男だった。彼は家族と多数の奴隷を連れてノルウェーから海を渡りその島へ行き着いた。日本では貞觀24年なので1200年以上前の出来事だった。(現地の資料による)彼は島の東端からいくつもの山と川と溶岩に覆われた湿地帯を越え西の入江までたどり着いた。9世紀の植民時代に大掛かりな植林伐採が行われたせいで今はほとんど自生する木々が見られないが最初のアイスランドは緑の広がる島だった。最初はそこには北極キツネしかいなかった。レイキャビクに着くと街角の売店に入ってパンとジュースを買った。チョコのパウンドケーキみたいなものかと思ったら黒く変色した麦の乾パンのようなものだった。味は凄まじくまずかった。ジュースは炭酸のポカリスエットのような味だった。観光地の大通りまで歩いて行き屋台のホットドッグを食べたがよくわからない味だった。港がすぐそばにあり坂になった通りをまっすぐ上っていくとさっきの教会が正面に見えた。通りは土産屋やレストランなどが並んでいた。高円寺や下北沢にあるヨーロッパの古着屋に置いてあるノルディックセーターが大量に売られている店があった。子ども用の小さいものから手袋やマフラーやくつ下など羊毛の手編みのものでセーターはどれも一着30,000krだった。日本で古着で買うと一万円かもっと安く買えた。

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アイスランド語でお金はフェと言うとのことだった。これは羊と同じ意味であるとのことだった。その店を出るとすぐ近くにレコード店があった。そこはかつてビョークシガーロスなど地元のアーティストの交流の場でもあった老舗のレコード店だった。独自のレーベルも持っているとのことだった。アイスランドの本屋や土産屋ではビョークの作品が大々的に陳列されておりシガーロスはあまり目立っていなかった。スカンジナビア航空の機内サービスでもビョークは聴けるがシガーロスは聴けなかった。都市部の賑やかなレストランや店内から聴こえる有線の音楽はコールドプレイかアーケイドファイアの二択だった。レコード店の地下へ降りていくと無数のレコードがあったが値段はディスクユニオンと同じくらいだった。ムーンシェイプドプールのレコードがソファーの上に置いてあった。

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店を出て教会まで通りを歩いて行き、なかへ入ると巨大なパイプオルガンがあった。教会へ入るのは初めてだった。それから西端の港まで1時間ほど歩いて行った。海は寒々しくて黒かった。そこら中に溶岩があって変色した藻が張り付いていた。郊外へ出ると見渡す限り深緑の苔に覆われた美しい溶岩地帯を見ることができる。しかしそれは徒歩では不可能だった。それを実際に見たのは翌日の現地ツアーに参加したときだった。翌日は朝の5時半にはゲストハウスを出てまたレイキャビクのバス乗り場まで歩いて行った。7時半の集合時間が来るとロビーに搭乗者のファイルを持ったバスガイドの男がやって来て名前を呼ばれると私は手を上げた。バスに乗ると多くはヨーロッパ人の観光客のような感じだった。アイスランドに来てから日本人は一度も見なかった。金持ちの中国人の観光客のような団体は行く先々の観光地でたくさん見た。バスが出発し都市部を離れていくと見渡すものがどんどん遠くなっていった。多くは溶岩、低い柵に囲われた草原に散らばる羊、子連れのヤギ、放し飼いの馬、遠くの巨大な山々、沼地や鳥やモンゴルの白いテントのような地熱発電所などが見られた。バスが国立公園に止まるとガイドは乗客に向かって早口で何か言った。「9:30」と走り書きしたホワイトボードを掲げて見せたのでそれが集合時間なのだと思った。乗客たちが降りて行き、念のため9時半にここに来ればいいのか運転手に尋ねると彼は慌てて「いやいやここじゃないよ!向こうまわって降りていったところにあるB2で集合するんだよ!ここはB1だよ!」と翻訳アプリで言った。礼を言って外へ出て歩いて行くと丘の上に立って見渡す限りの景色があった。足元は溶岩で隙間を覗いてみると崖の下まで奈落だった。国立公園は地中の二つのプレートが衝突するちょうど真上にあり、坂を下っていくとまっすぐ続く道の両脇にふたつに分かれた岩石が天までそそり立っており、天頂の岩石のいたるところにペリカンのような巨大な鳥がいた。道をまっすぐに行くとB2がありその途中にかつて1550年の宗教改革時代に異教徒を処刑する際に使われた池があった。水の流れがものすごくほとんど滝のようだった。その上にかかっている橋を歩いて行った。振り返るとバスガイドの男がずっと後方で一人で煙草を吸いながらゆっくり歩いていた。紙ではなく電子タバコのようなものだった。東京なら多くが密集し過剰な供給や態度が求められるなか、アイスランド人は夕方には仕事を捌けて家に帰るようだった。昼間の店員や事務員もスマホをいじったり煙草を吸ったりしていてあまり勤労に従事していない印象だった。アイスランド人は抗うつ剤の使用率が世界でもトップクラスであると同時に幸福度の指数調査でもトップクラスであるとのことだった。20世紀までは人口が5000人ほどしかおらずそれも山々の各地に点在していて相互に交流はなかったとのことだった。日々の多くはドス黒い雲が低地を蓋するように立ち込めており晴れる日は稀とのことだった。

バスが出発すると次の目的地まで1時間ほど走り続けていた。ひとつひとつの目的地まで道のりが長くしかし景色は平坦でなく激しかった。人工物はほとんどなく時たま20世紀に散在していた島民の子孫なのか山の麓に煉瓦造りのような家がちらほらとあった。アイスランドの道は凄まじく長くもしもここを一人で歩いていたとしたら自分はバラバラになると思った。まわりは黒々とした海に囲まれ頭上は分厚い雲に蓋をされ、見渡す限りそこかしこに突き出たような溶岩と狂ったような茫漠さがある風土はそこに住む人々の気性に深く根ざしていると思われた。しかしその暗い雲の向こうにはオーロラがある。私はオーロラは見られず、まして夜すらも見ることができなかった。しかし暗い雲の向こうにはオーロラがある。それがアイスランドという土地でありアイスランド人というものだとすると、まるで抗うつ剤と幸福度の統計指数が今ひとつの重力の願いにも似た約束によって結びつけられたような気がしなくもなかった。バスはゲイシールと呼ばれる間欠泉のターミナルで停車すると昼食も兼ねての長めの自由時間だとガイドの男が言った。ゲイシールというのは英語でガイザーと言って日本語で間欠泉と言った。クリスタルガイザーのガイザーでありカンケツセンというバトルチップの間欠泉だった。雨水や溶けた氷河が地中深くに流れ込み、気の遠くなるような長い年月をかけて地熱に温められやがて表面の冷たい水との温度差を起こし爆発するように地面から吹き出す現象のことだった。100℃近くあるので泉のしぶきを浴びた野蛮な西洋人たちは獣のような雄叫びを上げていた。山の斜面のいたるところに大小さまざまな泉があり白い湯気が立ち込めていた。泉は深く澄み煮えたぎっており、覗き込むと地中深くまでずっと見渡せた。風が吹くと湯気に包まれ、寒かったのが暖かくなった。完全に温泉の匂いだった。山形の温泉掃除のアルバイトで服を着たまま温泉の湯気に包まれるあの感覚と同じだった。週に2日、夜の11時から温泉掃除に入って終わると一番風呂に入ることができた。一度女性の先輩と二人きりになって、先に湯から上がった先輩が「入っておいで」と言って私は心臓が射精するかと思った。アイスランドで幾度となくパンを食べたがゲイシールでは少し良いパンを食べた。サービスエリアのフードコートでパンとビールを買って適当な席に着いた。包みを剥がすとチーズバーガーだった。焼いてあるパンだった。上等だった。肉やチーズもマクドナルドのようだった。輪切りの玉ねぎとピクルスも挟まっていた。ポテトが新鮮だった。窓から遠くを眺めると巨大かつ底知れない風景だった。そのとき景色はメロディだと思った。今まで何度も思ったがやはりそうだと思った。シガーロスのtakkというアルバムを何度も聴いたが彼らがメロディにしようとしたのはアイスランドの土地に特異な風景ではなくこの眼差しの遠さそのものなのだと思った。そしてその風景は、誤解を恐れず言えば、この心に想い描かれるものそのもののことでもあると思った。キースジャレットが「心は音楽のあるところにある」と言ったのはイメージそのものの眼差しの遠さのことでもあると思った。そして私は思い出した。景色やメロディについて考えたりシガーロスを深く聴いていたのは山形にいたときのことだった。山形の景色は私にとって単なるいち地方の景観なのではなくて、特別な景色だったのかもしれぬと後から思った。アイスランドから帰ってきてすぐに企業説明会の名目で社長とふたり東京から大学のある山形へと移動した。私は新幹線のなかでずっと景色を見ており、社長は高齢者だから寝ていた。景色…山形の…それらはまるでアイスランドよりも美しい光景のように感じた。たしかに景色に優劣はなくとも町を取り囲む山々の景色、それを越えようとする国道や線路からの景色、その遠さの感覚というもの、渓谷や葡萄畑や湖や河川の地形の感覚、というのは私は、むかし山形からの帰省や上京のたびにバスや電車の中からそれらを見てはシガーロスを聴き、ひたすら景色について考えていたことを思い出した。そしてそのときいつかアイスランドへ行って確かめてみようと思っていたことを今こうして真逆の復路からの目線で山形の景色を見ていることに気づき、やはり山形は美しいところだということを思い出した、ということだった。