20190219

この目のカメラはなんということか。この目の画面はなんということだ。まるでこの映像は奇跡ではないか。いま見えている映像が、いまこうやって見えてる映像が、画面のカメラだとしたら、 しかし私は昨日、沈黙サイレンスという映画を見た。一度映画館でみて感動したのを、いまDVDで見るとなんと画面の小さいことか。まるでデジタル次世代を見通すのでなく、ふつうに考えて、身の回りのこの液晶の画面というものは、「画面」というものはあまりに小さすぎる、こんな四角い枠に囲われて!どこもかしこも!もどかしく、すごく、不自然で、違和感で身体中かきむしりたくなる、画面画面画面、カビの生えた骨董品で使いものにならない。この枠が邪魔でこうやって手で持つポケットに入れる持ち運ぶのが本当に邪魔に思う。VRとはどんな感じなのか。本当に見てみたい。しかし私が知る限りいま見てるこの「見る目」に一番近いのは暗闇の中に切り取られた光のごとくスクリーン、映画館のあのスクリーンがいちばん近づける。あの大きさ、必ず真ん中の・出来るだけまえの席で見ないと、いくら首が痛かろうとあの「目」に入ることはできない。しかしそれはVRにはじまり、すぐに映像メディアの形式は変わるだろう。すっかり地上が変わり果てるように、新しいものの出現は、かならず地上をすっかり変えてしまう。鉄道、舗装路、パピルスは技術の躍進により大量に印刷され、それはやがて電子の世界で無限量のデータと化す。私たちの存在も更新されつづけ今もこうして違う生き物になり続けているのに、俗世に縛られた社会情勢はなんとおもしろいテーマなことか。

そうだった。まず私はベルリンの壁について調べはじめた。私はサスペリアという映画を見て、それは二度目だった。音楽も映画も小説も、一度だけしか見ていないのはほとんど見ていないのと変わらなかった。サスペリア。一度目の印象はすさまじい映像表現であるということだけ思った。細部のへんな表現や演出はなんとなくこんなものなんだと思いながら見た。2回目になってはじめてその難解さやインテリ加減や気難しさに気づくことになった。私は今でも、ストーリーを説明しろと言われてこれを説明できるだろうかわからない。映画は本来は映像表現なのであって別にストーリーに注目せずともよい、それはそうだが、そうであるがゆえに、そのストーリーを作った人の「意図」というものが、意味あってこの人はこれをこうしたのか・それともとくに意味なくこの人はこれをこうしたのか、という意図や狙いというものが、ふつう見ている観客にはなんとなくわかるものだと思う。が、サスペリアはまったくわからなかった。私は、これは確実に意図のある難解さであろうと考えていた。そしてそれはおそらく間違いではなかった。物語は不可分にフロイトラカンの理論と結びつけられてあってゼミのようだったがそれだけでないというところが問題だった。精神分析学的なアプローチ・構造を物語に持ち込むことなら誰でもできるが、それだけではこの難解さは説明がつかないというのが。なぜ撮ったのかわからないシーン、けっきょく何だったのかわからないシーンが山ほどある。そしてそれらのすべてが、おそらく意図的な暗号のようなメッセージが隠されていることは間違いではないが、まったくわからない。

ということだった。そしてそれは当時の東西に分断されたベルリンの情勢を知らないとわからないというのが町山という名の評論家の説だった。そう言われるともはやサスペリアは二の次で当時のベルリンで何がどうなっていたのかの方が気になる。しかしそのサスペリアの難解さを解く最後のピースの正体が、ベルリンの壁であったということさえ理解できれば、この映画は、ついにこの上なく難解で複雑なすがたを持ってふたたび立ち上がってくるように思われる。分断されたベルリンの壁、人々、ドイツ赤軍のテロと暴力、それがキリスト以前より暗躍する舞踏団というものの存在と、また男と女、主人公であるひとりの老人とひとりの少女、自我と超自我エス、というそれぞれに対応して内包してわけがわからない。また社会における魔女、魔術、が政治と対峙して舞踏と制裁と選挙がうんぬんかんぬん、説明できぬ、すべてインテリの脳髄の甘いシロップ、と言うと悪口のようだが、そうじゃなくて、よくこんな難しいものをつくったと思ったと思う。なんでこんなに難しくする必要があるのかといよいよ怪訝に思う。しかしベルリンの壁とは、ベルリンは路地や運河や森林の複雑に入り組む都市であったことを私ははじめて知った。つまり壁を建設しようにも、たかが40,50メートルを道路にまっすぐ墨出ししてある程度の高さを設けた壁を築けばよいわけではない。実際はこうだったと書いてある。

「境界線は北部の田園地帯から西へ斜めに走り、最初の住宅地帯にぶつかったあと、両側に家々の並ぶ線路沿いに約4.8キロメートル進み、並行に走る線路に重なったが、二本のうち西から延びる一本は途中で行き止まりになっていた。境界線はそこから右に折れ、ベルナウ通りに至った。東ベルリンの地下を走る地下鉄の西線沿いに、その二倍の距離を折り返し、幅の狭い運河の岸をたどり、橋を横切って、国会議事堂の裏からブランデンブルク門に向かい、ポツダム広場の広々とした空間に至った。それから左のほうへ蛇行し、五本の道路を横切り、ジグザグに進んでさらに七本の道路を横切り、沈床園を挟んでカーブした二本の道路に達する。その後、シュプレー川の土手に沿って進み、迷路のように入り組んだトレプトウ地区にたどりつく。そこから西に折れ、六本の道路を横切った。西ベルリンを取り囲んで東ドイツの田園地帯を封じこめるには、境界の仕切りは住宅地帯を約35キロ、工業地帯を約17キロ、森林を約30キロ、河川、湖、運河を約24キロ、線路脇、平原、湿地を約55キロ通過することになった。」

1960年代に地下鉄があったことも知らず、壁を築くには大勢の建設業者を必要とした事実すら想像がつかない私は、ベルリンの壁はなんとなくまっすぐ伸びてる高い壁だと思っていた。しかしこういう物語のようなことが実際に起きるのが世界の歴史のおもしろいところだが、そこに住む人々にとっては言葉にできない体験だったに違いない、というのが無礼だとしてもやはりおもしろく感じる。まさかあの映画はベルリンの壁からの視点ではじまり、ベルリンの壁からの視点で終わる映画だったのではあるまいなそこまで意図していたのか、わからない。「あれのどこがホラー映画なのか」と町山という人が言っていたが、たしかにと思った。そもそも私はリメイクされる前のサスペリアというホラー映画さえ見ていない。

しかし私はあまりに多くのことを知らなすぎる。そして同時にこの見聞きする器官を持ち、味を知り、温度を感じるこの肉体が、いまも生成を繰り返しやがて時限爆弾のようにズドン、と終わることに絶望と希望を感じる。本は読まねば何も知り得ないし、映画は見に行かねば何もわからない。仕事にはすぐに取り掛からねば気づいたときには遅かったということになりかねない。「何もしない勇気」と保坂は言ったか。「覚悟」と言ったか。その言葉いま痛切に感じる。サスペリアという映画をつくるのにどれだけの血肉を注いだのか、ファーストマンという映画をつくるのにどれだけの血肉を注いだのか、PUNKというアルバムをつくるのにどれだけの血肉を注いだのか、想像するとゲンナリするけどそれはそれだと思いたい。思いたい? 思いたい。