20190212自由

日差しは地上を黄金色に染め上げておる。申し訳ないが私は単にその一部であってビジネスマンではない。私は幸せな子ども時代を過ごした。私は両親に幾千の感謝と敬礼を送る。私はもしかしたら嵐を味わうために苦渋の決断をとるために誰かの犠牲になるために他者の生き血を啜るために生まれてきたわけではないのかもしれない。しかしそれはあたりまえであった。私は生まれてきたことに何の意味も無かった。しかしそれは単なる幸運なのであって人の意味は人が付ければよいであった。私の意味は無いがあるときにはある。いまは完全に無いと言える。今というのは私が生まれてからおよそ24年後の今日ということか。つぎの24年は48になる。そのつぎは72になる。そのつぎは96になる。そのつぎは120になる。そのつぎは144になる。そのつぎは168になる。そのつぎは192になる。そのつぎは216になる。そのとき私はいないが、いないと言い切れるのは現代的な感覚やマナーや常識というものであって、近い将来いる・いないの概念も変容するかもしれないので、私は肉体は消滅してもある種のデータのようなかたちで保存され続ける可能性があるようなないような・と思う。そうして私はいずれまだ見ぬ我が子の父であり祖父。私はいずれまだ見ぬ子らの曽祖父であり同じようにして考えた彼らの後継者。私はなぜこんなことを話しているか。何かが私を通して話していると言えないこともない。一時期の清水がオゼックの器と化したように私も簡単になにかの器になる。それにしても、

それにしても何なのか。意識は一般的に広く開かれているようだ。ジャズはこんなにも心踊るものだったか。私はカマシワシントンを初めて聴いてそう思うことになった。鳴っているラッパの名前もわからない。ラッパは数種類あるが私がそれを知り聴き分けられるようになるまで遠くない。個々の唯物的なビートが打ち合いカチカチ鳴ってラッパの風が包む。音が音色になる瞬間がいま起こっておる。なんと楽しそうなことだ。これがいまの私には肝心肝要なのだと感じることになる。少し遅れてみんなに追いついたように感じる。単に頭を振って踊っていた人たち。私はいつもポストロック的な意味や物語ばかり求めていた。しかしここがその場所だと言えることになる。ここと言うここは身体のあるところではない。いずれ消滅するここ・あそこの概念のその先にこの音楽はあると言える。カマシワシントンは認識を軸にしてつくられる内・外の世界をそれぞれヘブンとアースと名付けた。「わたしはわたしの頭のなかにある物と頭の外にある物とで出来ている」。それは私が言った。ふと思った。私は楽器が楽器を打つ音のなかへ入って入って入っていけると言える。私は仕事をするからと言って社会人でもなければ常識人でもなければ大人でもなくかと言って子どもでもないと言える。これははっきりと言葉で言える。社長、私という聖者がここにいます。