20181101ありがち

「絶えず終わることによって絶えず続いてゆく」というのはどうやら、人間とその知覚するこの世界とはなにかというものを、それがどんな学問であれ一定のところまで探求し尽くした人がみな言っているなにかしらの真理である可能性が、あるようなないような…。しかし「神話とはひとつの事実がさまざまなかたちで反射したあるひとつの真理の像」と誰かが言うように、もしも永遠なるものへの到達が死と再生をくりかえしつづけることでしかなし得ないということがあるひとつの真理だとしたら、それこそがつまりジョセフキャンベルが言うところの「千の顔を持つ英雄」という言葉の意味であり、ほんとうに優れた物語や作品を自分の手で作ろうとするには、その千の肖像のつぎの一を描けばよい。というわけだ。たとえばキングダムで堯雲が言っていた「ほんとうの人の強さ」というものはたぶんそういう意味で、われわれは本当は閉じた一個の存在などではなく、もっと他者と全体と世界に対してめちゃめちゃに混じり合っているというか、個が消滅してもその消滅によってそのなにかが続いていく。なにが続いていくか知らないが、より良い方向へ、それが願いなのだと嬴政が言った。それが中華統一という宿願なのだと、そうすれば必ず、俺たちの次の世代は、人が人を殺さなくて済む世界が来る、と彼が叫ぶのは41巻だったか。そのコマの見開きとかセリフと絵の盛り上がりで読むたびに涙が出た。とにかくキングダムは追い立てられたようにそのことばかり描こうとしている。だからあの漫画が終わるには、永続的なるものへ到達しようとあがきつづけたあの主人公たちは、最後には必ず死ななくてはならないのではないか、というそんな気がする。そしてその存在はつぎの新たな世代へ引き継がれていく、というような、そんな終わり方をするような、きっとそんな気がする。それはいいとして、じゃあわれわれにとっては今しかない。今、というのはこうして働いていて、そのまえはあたりまえの顔をして学生をやっていて、そしてこれから続いていくであろうこの何かしらの生活について、われわれにとっては意味がわからない。なぜ生きているかわからない人、なぜかわかる人、しかしそれらの日常的な姿も、あのひとつの真理を映した千の影像のひとつに値するというのを、結婚できない男というドラマを見ながらまた思った。登場人物の一組のカップルとその女友達ふたりがビアガーデンで飲み食いしながら喋っていて、

「桑野さんにもこまったもんだよなあ」「あ、ちょっと聞いてくださいよ。この人ったら、結婚したら相手の両親と同居したくないなんて言うんですよ」「えっ結婚するの?」「え?…しないけど」「結婚もしないのにそんなこと言われてもねぇ!」「でも考え方の問題でしょ?」「あーでも私も嫌だな。彼氏が私の親と暮らしたくないなんて言ったら。なんか冷めるっていうか」「ねー」「そんなこと言って、じゃあ相手の姑と一緒に暮らしても平気なのかよ」

という会話が延々と続き、その日々が12話のラストシーンまで続いていく。ここで会話に上がった一組のカップルの関係性は物語の最後まで進展も後退もなく、なんとなくそのまま続いていって、最後に彼らが映るシーンは、デートの途中で女がショーウィンドウのウエディングドレスの前で立ち止まり、男が「なに見てんの?」「別に。いいでしょ?見たって。」と言って終わる。

「えっ結婚するの?」「え?…しないけど」というあの会話はほんとうのほんとうにその通りで、今という時間は先の未来に対して、とにかく無意味に無作為に無目的に無尽蔵に無分別に無慈悲に無自覚に無条件に無駄に無限にどんどんどんどん続いていく。で、死ぬ。でも明日とか明後日ではない。たぶん明日とか明後日ではない。だからそのいつかという日まで続いていく。これはふと自分が一人でいるときに、ふと我に返って自分が一人でいるのを思い出すように、たとえば朝起きて予定のない日に、どこに行くかもわからずとりあえず電車に乗って座ってるときとか、まわりに誰も知り合いのいないどこか喫茶店だかファミレスにいるときとかに、誰しもふと思い出すように考える。これがいつまで続くのかということをふと思い出すように考える。そしてあらゆる学問がはじまる。思考というものはいつもその場所からスタートする。そしてそれがどんな学問であれ、探求という冒険の果てに英雄が立っているのはスタート地点と同じ場所で、しかしそこから見る景色はすっかり変わり果てている。つまり最初の地点から出発して、円を描くように帰還してきているというわけだ。だから神話にはじまる物語と呼ばれる構造はすべて同じで、みな口を揃えて「絶えず終わることによって、絶えず続いていく」と言う。ということか。だからわれわれの生きる堪えがたい膨大な今という時間は、一人でやっていくにはキツい。そのために物語のなかでは、助力者や敵対者など、自分という英雄の獅子のようなエネルギーを再生産するためのうってつけの他者という存在が、山ほど登場しては去ってゆく。それは対話や性交や戦闘や離別など、個ではなく全体へ開かれた一連のアクションのことをまるごとひっくるめて永続的なもの、もしくは永遠っぽいもの、またあるいは千の神話と呼ぶ。だから結婚できない男の登場人物たちは、すでにそれに到達している。それはほんとうはわれわれも到達している。だがふと思い出すように襲いかかるひとりぼっちの閉鎖的な感覚などが、それを忘れさせる。だからわれわれが絶えず終わることによって絶えず続いていくには、まず生きねば。そして生きるとは混沌とした他者の世界のなかに飛び込んでいって死に続けることだから、つまり、悩むなら一緒にいようということだ。ということだから、まあいいかさよなら! べらべらありがちなことを