20200922

布団のすべてのパーツを洗い、干し、身体を洗い、乾いてからシーツを結びその中へ入ると暖かく、柔らかく、洗剤の匂いがし、何かを思い出しそうになったが一日中寝ていた。昨晩見たテネットをもう一度観に行こうと思ったが面倒くさく、そもそも昨晩もかなり面倒くさかったが「仕方ない」と思って「映画は観ないと“意味”がない」と思って「観るためには映画館に行かなくてはならない」と思って歩いて行ったが、何の意味があるのだろうか。しかし眼球は映画になった。全身が眼になり一気呵成の集中力となり人生に“意味”が投薬された。それは本当に良いことだった。クリストファーノーランという監督の作品は本当に頭に絶頂感をもたらす映画体験ばかりで映画館の中でブルブルブルブル震える。だがまったく理解できなかったため何度でも観に行かなくてはならないが本当は映画はストーリーなど理解できなくてもいいのだろう。なぜなら映画は視覚や聴覚の表現で魅せればそれだけでいいような気がする。だがずっと考えていたがやはり一度観ただけだと難しくて感覚的にわからないけど「考えるな。感じろ」と映画でも言っていたから、わからなくてもいいのだろう。しかし面倒くさくても何度も観に行くことになるだろう。ひとつだけ私に言い切れそうなことがあるとするならば

「時間は前に進む」

と説明するシーンが出てくるが、「時間が前に進む」のはテネットが〈映画〉だからだということであろうと思う。

20200919

キースジャレットの2016年ブダペスト公演の一部演奏が聴けるようになっており、疲れて早く帰って眠りたい。キースジャレットのケルンコンサートは中桜田の夜の道を一人で歩きながら何度も聴いたものだ。同じ道を何周もしながら頭上には月があり、私はそれを見上げていたものだ。あれは何だったのだろう。あれは何だったのだろうと思うことなら無数にある。しかしほとんどのことは思い出せぬ。

ケルンコンサートのPart.1は1975年1月24日に演奏されたもので25分あるが私は歌える。凄まじい回数を聴いたから歌えると思うがわからない。ケルンコンサートというアルバムは本当に私の記憶の一部がそこに存在するほどに自分にとって密接で不可分なものになった。記憶は外部に存在すると大学でも習った。石川教授はあるとき私に「これからケルンコンサートが聴けるなんて幸せだ」と言ったが、そのとき私はまだケルンコンサートを聴いたことがなかった。たしかその後に成人式の二次会で、陽平が「ケルンコンサートは素晴らしい」というようなことを言っており、私は「やはりそうなのか」と思った記憶がある。そして実際に聴いてみたら最初はまったくわからなかったが今では私の記憶そのものになってしまった。中桜田の夜の道そのものになってしまった。頭上には月があり、明かりのない道を歩いており、その先に村岡の働くセーブオンがあったがそこへは行かず、同じ道を何周もし、頭上には月がある記憶そのものがメロディの中から立ち上がってくるが、そのとき「これは間違いなく後から思い出す記憶になるな」と思ったのが本当にその通りになったのであるが、その先に「60歳、70歳になったときにこれを聴いたらどうなるのか」と強く思った覚えがある。

20200918

Negiccoの新譜は素晴らしい音像をしているように感じる。偉そうに言えば2020年の現行音楽の音像が意識されているように感じる。別の言い方をすれば音が良いと思う。アイドルというものの様式はわからないがきっと年々「アイドル」という言葉の意味が変わりはじめてきていることだろう。『sneakers』という曲のドラムを叩いているのはまた石若俊という人だった。米津玄師の『感電』でもジャズドラムを叩いていた。9/12の中村佳穂の配信ライブでも彼の名がクレジットされていた。『sneakers』という曲はそもそもCRCK/LCKSというバンドが演奏しておりこれは石若俊もメンバーとして加わる英才集団であるとのことだった。小田朋美という人も在籍していて私は名前しか知らずまだ聴いたことはないが彼女がこの『sneakers』という楽曲を制作しているとのことだった。

Negiccoは新潟のアイドルだが私は新潟で育ったがNegiccoがまだ地元のCMのようなものに出ている頃からテレビで見ていた。そのときは誰もがネギッコを見下していた。私の家族はNegiccoがテレビに映ると容姿やグループ名などについて文句を言っていた。私は何も感じていなかった。

その頃の私にとってはNegiccoよりもヤングキャベツの方が偉大な存在のように思えた。ヤングキャベツは新潟の二人組のラップユニットだった。芸人だったのかもしれないがタレントの一種だった。一人は金髪で、一人はアフロのサングラスだった。ヤングキャベツオートバックスのCMで「オートバックは、高価買取」とラップしていた。

しかしあれはオートバックスのCMではなかったのかもしれない。なぜならヤングキャベツオートバックスのことを「オートバック」とラップしていたからだ。「オートバックは、高価買取」とラップしていたからだ。

もしかしたら「オートバック」と言っていたのではなかったのかもしれない。「オートバックス」が表現上の問題で「オートバック」という発音として演奏されていたのかもしれない。ヤングキャベツの金髪はどことなくUnderworldのカールハイドのような洒脱な雰囲気があった。もう一人のアフロと合わさった二人の立ち姿はどことなくprodigyのような暴力性を感じさせていた。当時の新潟の停滞した空気感には似合わない危険な二人組だった。静寂をぶち破るような躍動感があった。

私はヤングキャベツを一度だけ加茂川の祭りのステージの上で見たことがある。彼らは演奏をしていなかったからラップユニットではなくただの芸人だったのだろう。しかし芸は披露していなかったから彼らはタレントだったのかもしれない。彼らは地元の祭りの司会進行をしており、私は群衆に混じってヤングキャベツを見ていた。そこにはテレビカメラもあった。

20200917

0時半に寝た。4時半に起きた。0時半に寝た。4時半に起きた。0時半に寝た。4時半に起きた。そうやって朝が夜になり夜が朝になり朝が夜になり夜が朝になるのを繰り返していると起きている間は「何をしているんだろう」と考えながらも目の前の何かに夢中になると楽しい。しかし中一日ほどは9時半に起きてから昼過ぎに現場へ行ったり会社“カンパニオン”へ行ったりもしくは行かなかったりしており「この世は何なんだろう」と思う。会社“カンパニオン”へ行くと経理のおばさんが「手洗った?」と言って「洗ってません」と言うと「洗ってきなさい」と言って「母さん」と思うこともある。もしくは女性の先輩などが「はいっ」と言ってお菓子をくれるとその声音やイントネーションに「母さん」と思うこともある。でも本当の自分の母親はそんなイントネーションではないし自分は決して日々の生活の中で母性を求めているわけではない。なぜなら私はミカサ・アッカーマンのように献身的にされたらやはりエレン・イェーガーのようにそれを拒絶するだろう。だが意外と甘えるかもしれない。それはそのときになってみないとわからない。ただ俺は「母さん」という響きを吟味することによってカオスと交わした契約の使命を果たそうとしているだけだ。それは非常に不思議なことだ。モリッシーがこのように歌っているのは不気味でかっこいいことだ。

“ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい

ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい

ある女の子たちの母親は他の女の子たちの母親よりも大きい

ある女の子たちの母親は他の女の子たちの母親よりも大きい

アントニオがクレオパトラに語ったように

エールの木箱を開けながら語ったように

ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい

ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい

ある女の子たちの母親は他の女の子たちの母親よりも大きい

ある女の子たちの母親は他の女の子たちの母親よりも大きい

枕を贈ってほしいあなたが夢見る枕を

枕を贈ってほしいあなたが夢見る枕を

私も自分の枕を贈るから”

これは身体のことを歌っているのだろうか、それとも目に見えない何かのことを歌っているのだろうか。あとR.E.M.がまたこう言っている。

“私は天国を必要としない

私は宗教を必要としない

私はいるべき場所にいる

私は水を呼吸する

私は水を呼吸する

あなたは身体が呼吸するのを知っている

私は溺れている(自分自身を呼吸せよ)

私は溺れている(自分自身を呼吸せよ)

私は溺れている(自分自身を呼吸せよ)

私は溺れている(自分自身を呼吸せよ)”

何とかっこいい歌詞だろうしかし音楽は歌詞ではない。

20200916

R.E.M.もこう言っている。

“私は移動する失われた純真
私は点滅するすべての神経
私は新しい柄のシャツで地球を横断する
私は衛星を通過する
「君はとても苦い」とあなたは言った
私は何も与えられない
あなたに誰が住んでいるのかわからない
あなたが誰なのかわからない

私はすぐにあなたの足を噛み
これに囚われるより
これらすべてをほろ苦い私だと簡単に考える

私は味わえなかった

私は疲れ果てていて裸だった

私は空腹だが何が食べたいのかわからなかった

私は何が欲しいのかわからなかった”

このような非常にBLEACH的な

20200915

眠いが疲れてはいないし甘えたい気分もないが寝て休みたいし疲れたと感じる。Mr.Childrenもこう言っている。

“バラバラに散らばったパズルが床でふて寝している。恨めしそうだけれどどうしようもない。

どれが元どおりの形かはもはや知りたくもない。これはこれで結構芸術だ。

無造作の中に潜んだ意識を知ろう。

赤、白、青、黄色。

そうだ。冷えたビールを飲もう。

金と黒のラベル選んで、できるだけ一息で、

ああ、ああ、ああ、ああ生きてるって感じ。”

 

もしくはR.E.M.がこう言っている。

“私は私が欲するものを知っている

私は私が欲するものを知っている

私は私が欲するものを知っている

あなたは水へ落ちてゆく

水を飲み込み水から上がって去ってゆく

これは私の夢ではない 修道女よ

天国は寒い

私に翼は芽生えない

私は溺れている(自分自身を呼吸せよ)

私は溺れている(自分自身を呼吸せよ)

私は溺れている(自分自身を呼吸せよ)”

これは何とかっこいい曲だろう。といったことを感じる。