20190912ニコ・ロビン的アクティング・アウトのレッスン2

人の〈ダンス〉は“現在”という混沌に対する抵抗と対策のために行われ、各人の個性的または無個性な振り付けがお互いに呼応し合い、いわばフルオープンの発狂の砂嵐から身を守るシェルターとして人間世界を形成しているように思われる。

“『つらい』とき「つらい」と言えたら

いいのになあ   ああ”

という歌詞がAqua Timezにありニコ・ロビン的アクティング・アウトとはその究極形と言えると思う。

“つらいときつらいと言えたら良いのになあ

ああ

僕たちは強がって笑う弱虫だ  ああ

淋しいのに平気なフリをしているのは ああ

崩れ落ちてしまいそうな自分を

守るためなのさ

ああ”

ニコ・ロビン的アクティング・アウトとは『つらいとき』「イギだいッッ‼︎‼︎」と叫び『淋しいとき』「イギだいッッ‼︎‼︎」と叫び、『悲しいとき』『ムカつくとき』「イギだいッッッ‼︎‼︎‼︎」と叫び、“自己”という名の階段が混沌の嵐に吹かれバラバラになりそうなそのとき、待つよりも先にこっちから〈イグ〉ための、果てしない抵抗と絶頂の返礼的舞踊とも言えようと思う。まさしく「決意の朝に」というわけか。まさしくAqua Timezに対するニコ・ロビン的反転、ニコ・ロビン的超越というわけか。

「終わらせる」と村岡が言ったとき、彼は死ぬのを恐れていた。だから待つよりも先に行こうとした、のだと思われる。

しかしそれは〈人〉がこの地上に存在をあらわしたときから、彼・彼女らが絶え間なく好み、何千年と貪るように求め続けてきた「知りたい」という欲求または「対策を練る」という楽しい遊びの、ひとつの究極的な形態と言えようと思う。「混沌=ハシゴ」とピーター・ベイリッシュ公は言ったが、「終わらせる」とは、それに昇ろうとするでもしがみつこうとするでもなく、勝手気ままに無関係なところへ新しいハシゴを懸けてしまうか、もしくはただ単に手を離してしまうか。しかしすべて言っているだけに思われる。だが待つよりも〈イグ〉ことが肝心肝要な攻防的手段に思われる。〈イグ〉とは結局“自己”を発狂から守護るための現実的で実務的な政策にほかならず、「国家」が武力を持とうとするように単に政治経済的な手段でしかないと思われる。

つまり『つらい』とき「つらい」と言えたら本当はいいのに、ニコ・ロビン的踊り子たちは「イギだいッッ‼︎‼︎」と言って絶頂グ。そして無限の花園のような無神経なユートピアが形成されると思う。