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もう少しで1ヶ月間休みなしに達する気がする。これが地獄を見せてやるぜってことで楽しいのかもしれない。代休のシステムってどうなってるのかわからない。休日出勤の給料はどうなってるのかそこまで意識がまわってないのでわからないがそんなことはどうでもいいと思ってるから調べようとしてないのかもしれない。しかし大学のときとまったく自分は変わったのが良い。良いこととしか思えない。そして良いと思えることが良い。私は恵まれているというより幸福を知覚するヴィルトゥに優れている。きっとみんな辞めるであろう辛い仕事も私なら大丈夫でいられる。もう無理だと思っても考えは勝手に走って私を一人でないと思わせる奇妙な場所まで連れて行く。つまり俺は頭がおかしい。だが運良く、まったくの偶然だった。私が頭のおかしいことを言っても笑って流したり聞こえないふりしたりする人はまわりにあまりおらず、トムヨークの部長をはじめ齢66の上司もみんな文句も言わずに黙って聞いてはちゃんと考えてから返事をしてくれる。しかしそれは些細なことで私は彼らに感謝をしてるとか出会えて良かったとかそんなことは言わないというか、じゃあ何を考えているかというと、俺はいつもこうなる運命だというテロリスト的な迷信にとらわれている。俺はどこで何をしていてもすべてうまくいく、とまでわかりやすくは言わないが、天の寵愛はじゅうぶんに受けている。たとえばイヤミな奴に何か指図されることだって社会に出たらあり得たはずなのに、私の周りは偶然そういうことは起こらず、ただ休みはなく、街で誰かと二人で寄り添いながら買い物をしたりする人たちを見て、この人たちは休みのない生活を知らないんだと思ったり、この人たちには休日があって何も考えず笑っているなと考えたり、ただそう考えるだけだ。妙な暗い感情は抱かないのが、やはり私の真髄というか、そこに私という人間の証がある。私はI.Q的な頭のつくりは悪いが根が晴天満開であるといえるから狂ったりダメになったり諦めたりしないというかできないのかもしれない。つまりすべて首尾よく万事順調に日々が過ぎている。どれだけやっても楽になることはなく、刃が首元をかすめる不安から逃れられないが、私が発狂したりしないのはある程度頭が良いからと、運に恵まれているからと、なんとなく未来が見えるからと、金や利害に執着しないからと、人のために何かしようと思っているからじゃないかと思う。しかしそういう私は誰だ?  私は誰と話しているのか。しかし狂ったふりはやめよう。と思う。狂ったふりは簡単で、うまくいけば誰かが心配してくれる。しかし私が気にしているのは、気になっているのは、私自身が、大学のときからはじまって今も続く私の人格が、最近また何かを超え更新されつつあるという不穏な予兆にも似た感覚で、それはつまりあまりに早い成長、社会人としてはあまりに早い成長というものではないか、という気がする。私はきっともう新入社員の辛くて辞める精神に毛ほども共感できないであろう。しかし今でも人は働く意味も理由もないから働かなくていい、とはっきり断言できる、そう思う。しかし彼らはこの生活を知らぬ。しかし会社に入らなくても何かしら手に職をつけることを運命付けられた者は、たとえば同じように休息を知らず孤独に突き進むことを独学で覚えるかもしれない。しかし大抵の人はそうはならないんじゃないか。大抵の人は広い世界を知る前に辛くて辞めてるんじゃないか。それが何だと言うと、とくに言うことはなく、ただ運が悪いとしか言いようがないというか、結局自分と比べるというエゴイズムを私は発揮して、お前たちは不幸だと言いそうになる。本当は不幸でも何でもないが、しかし私はそうなるくらいだったら休みもなくて金もいらないから今この場所に身を置いていたほうが楽しい。延命はしないほうがいいというのは理にかなっている。つまり給料はなくてもいい。つまり死んだっていい。それより世を学び身体を知ることの喜びが死の恐怖を上回る、とそういうふうであってこそ気持ちいい。気持ちいいというのはイグッ!ということだ。清水が大学のとき腰を痛めてある朝目が覚めて起き上がろうとしたら「イグッ!」と言って白目を剥いたことがあったらしかった。その「イグッ!!」という声が恐怖のない静寂に満ちた世界に響き渡る、といったようなそういうシーンだった。つまり、つまり、つまり怖くない。つまり何も怖くない。レディオヘッドのピラミッドソングの歌詞は「何も怖くない。何も疑わない。」という感じだった記憶がある。ウィルコのヘルイズクロームの歌詞は「何も怖くない。何も怖くなんてない」という歌詞だった。R.E.M.のイーボウザレターの歌詞は「恐怖はアルミニウムの味がする。アドレナリンが僕らを近くに引き寄せる」という歌詞だった。なんて良い曲なのか