20181001楽譜

たとえば曲を自分で作ろうとすると、既存の曲のカバーではなく自分で作ろうとすると難しいが、なぜむずかしいのか不思議だと思う。たとえば曲を作ろうとすると究極的には楽器は必要なくてハミングや頭の中で済むご、ここはひとつ考えてみたい肝心のポイントで、私は最近気づいたが、頭のなかでメロディを作ったのを実際に弾いて起こしたり歌って起こしたりしようとすると、拍子やキーがめちゃくちゃなことがあって、つまりイメージやインスピレーションというもの、あのいつも頭のなかで物理的な諸条件をすっ飛ばして立ちあがる奇怪なイメージやインスピレーションというものに、メロディそのものも属しているといえる。しかし逆に、構築の手順を正当に踏んでいこうとするならば作曲者は多大な苦労を強いられるのではないか。建築物の設計もまた然りということか。直観を論理によって抱き進むのが文字通り理に適っているということか。だがメロディは、イメージやインスピレーションがまたそうであると推測されるように、個々人の精神的な属性に寄っているのではないか。ミスチルがあんなに、歌そのもの・言葉そのものが楽器でありビートであるような歌メロを作れるのは桜井和寿がサッカーが好きだからなんじゃないかと思う。スティーナノルデンスタムがあんなに常軌を逸した気のふれそうなメロディを作れるのは、もし彼女の趣味がサッカーだったら絶対に無かったことだといえる。サッカーではなく、個々人のなかに流れるメロディにはやはり特定のテンポやキーがあり、私のはミドルかややスローかつメジャーで明るいキーが流れている。つまり私の場合は、そういう曲の方が作りやすいというか、何か作ろうとすると、引力に引かれるように自然とそういう種類のテンポとキーに引っ張られてしまうということか。だから私はたとえばスピッツみたいな曲はまだわかる。しかしミスチルのような曲はどうやって作るのかまったくわからず不思議に思う。ミスチルでも色んな曲があるが、何にせよ桜井和寿は何でも作れる。韻踏みのオンパレードのようなデルモやエソラや掌は常人のつくる曲ではない。しかしいざ曲を作ろうとしてみると本当に難しい。メロディは目に見えず、しかし譜面に起こせるが、楽譜の記号が数式や魔法陣のごとく音楽の神秘を解き明かせるというのか。