20180930幸福

日曜日の夜に帰社しても帰ってからギター弾いたり結婚できない男を見よう!

結婚できない男

もう一度はじめから見てみると色々なことに気づいて驚くような気がする。これまで見た色々なドラマや物語のことを思い出しても、結婚できない男は何か変わっているというか特異な点があるような気がす。起伏のなさといえばいいのか、プレーンな感じといえばいいのか、柄やデザインではなく生地の良さといえばいいのか、かと言って何も起こらないわけではない。なのになぜこんなに平坦な印象を受けるかというと、関係性が変わらないからか?「ゆとりですがなにか」というドラマでは私は就活中に見ていて何かシンパシーを感じるとともにストーリーがおもしろくて感動した。一番覚えているシーンは「風俗だったらお前なんか即チェンジだよ。でもチェンジできねえからむかつくんだよ」と言って泣きながら父親に殴り掛かる柳楽優弥の演技がすごくてこっちも泣きそうになる感じだった。ゆとりみたいなドラマのほうが、却って物語としてはよくあるかたちだと言えよう。知らないが、とにかくよく出来事が起こるのでそれはそれで作ってる人はすごい。そして毎週登場人物たちの相関図が変わっていく。別れる者、近づく者、ここのシークエンスとここのシークエンスが繋がる、そして全体の世界が再構築されていく、新しい展開、新しい登場人物、そして予想できない流れ、があって、見ていて退屈しなくて、ものすごく話をつくるのが上手くて感心するが、結婚できない男の上手さは全然ちがう。しかし何が違うのか。関係性がほとんど変わらない、のかそんな気がする。わからない。しかしドラマというドラマは起こらない。しかしそこにあるのは現実に対する圧倒的な肯定というか、「生きるというのはこんな感じだよな」というような人生に対する根っからの楽天的でポジティブなスピリットがあるというか、いやわからない。私はいま酔っているので異常に文字を打つのがが速い。つまりこの文体は思考の垂れ流しといえる。結婚できない男はありえぬほど感動した。何が感動したのか。わからない。しかしずっっと彼らの生活や日々や物語を見ていたいと思わせられたのに、12話であのドラマは終わってしまった。何にせよそう思わせるのがすごい。キャラクターが魅力的で、彼らがそこにいて、とくに何が起きるでもなく話しているだけなのに、ずっと見ていたいと思わせるのはやっぱり作り方が上手いからなのか。それともある種の孤独感みたいなものに私がシンパシーをおぼえたのか。しかしどうやってああいう話を作るのか?まったくわからない。ゆとりですがなにか、や、カルテットや、ゴンゾウや、ヒーローズやプリズンブレイクや、ロストや24やゴンゾウや相棒やエグゼイドやクウガや、あともう思い出せない。ぜんぶわけのわからないドラマだ。とにかくそれらのドラマに比べたら、結婚できない男のような物語をつくる方がずっと難しいはずだと思う。すべてがささやかで静かで、たおやかで深い。そして暖かい。よくわからないが心の冷えた部分を溶かすようなシーンがたくさんある。そしてそれが笑いのシーンでもある。そういう笑いのシーンがある物語はこの世の中にあまり無いように思う。抑制が効きながら抑えるところは抑え、とくになにも起こらない。しかし胸に残るシーンやセリフがたくさんある。そのキャラクターたちを忘れない。そういう話が作れるのは素晴らしいことだ。いままで見たドラマのなかで一番おもしろいかもしれなかった。まったく関係ないがヒーローズは中学生のときに全部のシーズンを見て、チノケンとふたりでサイラーを信奉して鬼ごっこで遊んでいるときサイラーの物真似をしていた。サイラーというのはシーズン1のラスボスで、能力者たちを殺してまわる連続殺人犯であった。彼の能力は構造理解というもので、殺した能力者たちの脳を解剖して仕組みを理解することによってその能力を奪う、最強の能力者としてピーターの前に立ちはだかったが、シーズン3ではなぜか主人公になって良い奴になり、ピーターが悪役になるのがよくわからないがかっこよかった。シーズン4ではサイラーはネイサン・ペトレリの肉体の代替物となりマット・パークマンの催眠能力により精神を封じ込められるが、こうやって文にするといかにヒーローズが最終的に意味不明なドラマになったかがわかるようだ。ヒーローズは主人公がいっぱいいる群像劇だが、メインはピーター・ペトレリという男が主人公で、彼の能力は主人公にふさわしく、他人の能力をトレースするという、つまり半径何メートルかに他の能力者がいなければ自分はまったくの無能力者というわけで、しかしシーズン1の最終回になると彼の能力は増幅してニューヨーク中の能力者の能力をどこにいても使えるようになる。つまり他人の能力を殺して奪うサイラーと他人の能力を借りて戦うするピーターの一騎打ちが最終回というわけだが、けっきょくサイラーを殺すのはヒロ・ナカムラという時空間操作能力の日本人だった。意味がわからないが彼の能力がいちばん強い。過去にも未来にも行けるし地上のどこへだっていつでもワープできる。制約は無いがファイナルシーズンではいきなり制約がありましたという話になって彼は能力の負荷によって死ぬ。とにかくシーズン1では彼はサイラーの背後にワープして日本刀で串刺しにして殺すが、それでラスボスは死んでシーズン1は幕を閉じるが今考えると訳の分からないラストだった。しかも実は死んでいませんでしたということでサイラーはファイナルシーズンまでずっと登場する。

②曲

曲づくりというのは本当にむずかしいように思う。というかメロディを、自分で、考えるというのが、とにかくむずかしい。私は色んな曲を口ずさんでみて、ミスチルはすごいとあらためて思った。もしくはスキマスイッチ、あんなに馬鹿にしていたが、頭に残る不可抗力の巨大なメロディというのは賞賛されてしかるべきだと思う。ミスチルにはエソラという曲があるが、あるいは未来、あるいは口笛、あるいは擬態、あらゆる曲が、どうやって考えたんだと思うくらいすごい。スティングやコールドプレイもすごいが、しかし日本語で曲をつくるミスチルは私にとってもっとすごい。スピッツもすごいが私にとってミスチルのほうがすごい。歌というものが、声や滑舌というビートというものが、あんなに楽器として成立するのは桑田圭祐やミスチルくらいではないか。と思う。日本語や言葉をあんなにビートに変換して強められる彼らのセンスはすごい。「メロディラィン、から放ったカラ、フルな魔法、のフレーーーーズ!」というエソラのサビはどうやって思いついたのか、まさにその声がビートそのものだ。メロディとビートが一体となっている。しかしラップともちがう。あれはコールドプレイの歌に近い。もしくはビートルズか。日本の演歌や歌謡曲とはちがう。しかしその要素はある。しかしミスチルはすごい。寝る。