2018.8.12

金曜日は10日だった。夜は清水と会った。それまでは仕事だった。仕事は楽しいかもしれない。設計にいたときは何かに追われることはなかったのでいつもサボっており、外回りと称して喫茶店で読んだり書いたり映画を見たり服を買ったり家に帰ったり寝たりしていた。しかし公務はすごい。私は絶対に社会に出てみて良かった。ものを考えるのに役立つ。とその日つよく思ったのを覚えている。そして大宮にいた。もう夜だった。現場へ書類を届けに急いで会社を出てそのあいだも歩きながら色んなところに電話をしていてTシャツ姿だったけどサラリーマンみたいだった。それから高円寺へ移動して清水と会う約束だった。一時間くらい私は待って、駅の改札にいて、そろそろ何かがおかしいと思って電話してみた。出なくて、死んだんじゃないかと思った。誰でも見えないところで連絡がつかなくなるとその人が死んだんじゃないかと思うと私は思うが他人の頭の中はわからない。そしたら清水からラインが返ってきた。ケータイとかラインとか、もはやそういうもので人の意識は構成されている。遠く離れた距離の消失。電話をかけるためにどこかへ行く必要もない。ケータイは自分の身体から手や足が離れないのと同じ意味で、常にここにある。ラインのせいで私たちはどんなに離れ離れになっても離れられなくなった。おそらくこの先もう二度と離れられない。ケータイを持っている限りは。しかし距離の消失はゼロ距離ゆえに無限の隔たりをも意味する。だから君の名は。があんなに売れたのは現代人のそういうデジタルな意識の影響によるものだと思う。とにかく清水からラインが返ってきた。「いま当たりが出てるから離れられないわな」と返ってきて私は彼はなぜパチンコにいるんだろうと思った。高円寺で飲むという約束を彼は自分でしてきたのではないか。そしたら彼はもうすでに高円寺にいてディオスという名のパチ屋にいるとのことだった。私は来るはずのない影を待ち続け、その影の主は自分の太陽を見失った。私がディオスというわけのわからないうるさいパチ屋に行くと清水がいた。パチンコ屋というのはすごくうるさい。清水の口が動いているが何を言っているのかまったくわからない。おそらく勝ったのだろう。それでカウンターで何かカードのようなものを手渡され、しかるべき機械に彼がそれを差し込むと200円が出てきた。「勝ったんじゃないのか?!」と私は何度も叫んだが店内がうるさすぎてまったく清水に聴こえていない。店を出ると清水があれは違うよと言ってバトルチップみたいなものを取り出した。これを換金所で引き換えるんだよと言った。そんなシステムが世の中にあるとは。換金所は防弾ガラスみたいなショーケースの向こうに婆さんがいた。清水が下からチップを差し込むと機械的に婆さんが金を下の引き出しに入れて渡してきたが5000円だけだった。大金だよと清水は言った。だが飲み代で消えた。酒を飲みながら話した内容に関しては、書くには長く話すには短い。ただめずらしく私たちは終電で別れた。私は家に帰ったら気を失って寝た。汗だくで歯も磨いてなかった。扇風機もまわってなかった。ただ床に仰向けになっていた。汗だくだった。なんで何も起きてないこともわざわざ書くかというと村岡やその他の人がいつかこれを読み清水や小澤や畠山や牛渡や自分の周りの人のことを考えたりするのに役に立つのではないかと思うからであり、微力ながら私は後世に資料を残しているつもりだ。