目が覚めたら会社の屋上で雨で目が覚めて冷たいと思ったら雨だった。私の身体は横たわっているというより地平線に沿って平行なかたちだったので仰向けだった。雨は冷たかったが気温は高かった。だが寒かったので作業着を掛け布団にしてた。だがセミが鳴いてた。まわりが明るかった。さっきまでは夜景だった。電車で帰るのがめんどくさい時間だったからカラオケで寝ようかと思ったがソファーが短すぎたあまり寝られなくて出て会社に戻って屋上で寝てたら雨だった。起きて電車に乗って栃木へ行く。という電車のなかにいるが電車はすばらしい。速い。そして景色が動くと考えは広く大きくなっていく。昨日も私は私の身体だったのではないか。という文学的にもあまりに使い古された言い回しを私はこの期に及んでぐだぐだ言う。じゃあ何をどう言い換えればいい。しかし昨日か。私が思い出している地点と時点はつねに今のここだ。つまり起点になるのは必ず唯物的なボディに他ならない。雨に打たれた身体、横たわっていた身体、ソファーにありあまる身体、電車で高速移動する身体、しかし死んではおらず生きている。睡眠は足りているのか、どこまで休まず稼働できるのか、休んではいる。だが知らない。メロディは唯物的なビートを要求する。そんな気がする。メロディと景色と運動、そして地上の世界を構成する目に見える物体と目に見えない記憶というものすべて、は、それらを認識し知覚するこの身体を基軸に広がったり狭まったりするのではないか。という妙な観念が湧いてくる。まあ駄目だろう。最近本を読んでないから手助けが少なすぎる。そして今まったく頭が働いていないが今日は大丈夫なんだろうか。待ってくれと私は思う。すべてに対して待ってくれと思う。もう誰も教えてくれなくなった。けど子供じゃないと思えばそれも普通かまあいいや。仕事がきつい振りとか乗り切った振りをしてチンケなヒロイズムをナデナデする奴になるかどうだ