2018年1月19日金曜日 補足

会社とはもともと、閉じられていた“家”の領域が、外側へと向かって溶けだしたものであった。むかしわれわれが生きていたころは境界線がはっきりあったがいまはない。家を出てもそこには父親=社長がいる。会社を出てもそこには父親=国頭がいる。その先はけものになるのみ。いずれにせよ、だからひとは、家という領域を出なくてはならない。家とは私秘的な空間、privateプライベートということばは、公の場から「隠される」ということを意味する。すなわちわれわれが人々の目から隠したかったものは誕生と死だ。われわれが有限な肉体を持って生まれ出ずる一個のけものである事実を家という領域は隠蔽する。なぜならわれわれはそこで産声をあげやがて死ぬ。子宮という墓場から墓場という子宮へ。この子宮(墓場)という家もたしかに閉じられている。そのふたつの空間のあいだに一直線に引かれたこの線は、アリストテレスをして「人間とは一種の活動である」と言わしめた。だからなにが言いたいのか。会社をやめた彼は、一種の家からの出立だ。でも会社をやめたひとはだいたい実家にかえる。あれ、、?でもよい。というかわたしの言うこんなことは本当にどうでもいい。けものになれ。いやちがう。どうでもいい。