2018年1月19日金曜日 東京 くもり

わたしは会社でビール飲んでた。ワタリも一緒だった。ワタリは会社の同期だった。会社はわたしたちが入ったのは4月くらいだった。4月というのはいちおう暦だけどわたしがいま思い出している時点・地点からは距離も時間差もないのでこれはいま起きていることだった。わたしはほんとうにあったことを書くときはいつも思い出すけど思い出すときはつねにいまだった。というか時間ってなんだろう。わたしたちは遅刻のしすぎで社内会議になった。これも時間というものが、換算され、規則というものに、組み込まれた良い例だった。数字は天の概念をひも解く地上の鍵だが、いちど規則に組み込まれたらつよかった。わたしはワタリにはじめて会ったときは会社の入り口だった。背が高くて顔が怖く、バイクの話しかしないので怖かった。しかし屋上にワタリがタバコ吸いに行ったときわたしも後からついて行ったら「え!吸うんすか!」と言われた。会社でお中元のビール飲んだ。みんなが帰社したあとガムテープの芯であそんだ。ワタリは10月で会社をやめて大工になったがわたしは「あの日々は二度と戻ってこないんだ…」と言ったら人間として死ぬ。人生というものはわたしよりもずっと大きい。ということだった。そこにはめそめそした涙もさむい慰めもいらないというわけだった。わたしはただ本当にあったことを書くのみ。ほぼ毎日飲んでカラオケであそんで会社で笑って話してるのがいつか終わって別れた。さよなら。でもまた遊ぶ。双子の姉妹はそのようにして家を出た。奇妙なことに、とはいえそれはあまりにも明白すぎる事実だが、あらゆる物語とは、決まって“家”という秘められた領域を当の本人が出て行くことによってはじまる。それは好むと好まざるとに関わらず、彼・彼女たちにとっての真の出発をいみする。彼女たちの場合は自分たちの意志だった。意志ってなんだ。人間にそんなものがあるのか。知らない。でも意志だった。彼女たちは歩いた。いつも胸のうちに別れた両親のことを思った。そして両親から授かったふたりの身体は町をゆくたびにひとびとから後ろ指をさされ「ブサイク」、かつてのふたりは深く傷ついた。いつも自分を映して離れない鏡のようなお互いのすがたをつよく憎んだ。しかしいまのふたりは違った。彼女たちの耳にはある音が聞こえていた。としたらどうだ。どうだ。って、でもそれは事実だ。音のする方向ははるか遠く、その出どころを知るために彼女たちは家を出て行かなくてはならなかった。そしてその音は、ふつうの両親から授かった彼女たちの忌み嫌われる特異な身体の、その節々にまで宿ったある種の生命力といったものを、つよく遠くから呼んでいるように思われた。いつの時代も特別なひとは、その目に見るもの耳に聞く何か得体のしれないものに、つよく呼ばれる。しかしそれは呼んでいるのではない。呼んでいる気がするだけだった。「でも呼んでるよね」「呼んでるよね」とふたりは言ったとしたらどうだ。誰にもわからない。でもやっぱり呼んでいた。そしてその音は、いまロムルスとレムスの耳にも聞こえた気がした。