2018年1月14日日曜日−② 東京 成増 晴れ

その双子を生んだのはどこにでもいるひとたちであった。人間がどこにでもいるようになってからひさしい。どこにでもいるひとはふつうのひとたちであった。

双子は姉妹であった。しかし母親にも父親にも似ていなかった。きわめて特異な目鼻立ちであった。目は小さくまゆげは生まれながらにして刻印のように強くきざまれ、鼻は低くまだ歯の生えそろわぬ大きな口を開けて笑っていた。ふたりともおんなじ顔をしていた。なんだこれは。と両親はおもった。しかし双子は愛を受けた。どこにでもいるひとたちは、我が子の誕生という奇跡を目の当たりにして変わっていった。ひとりは父となった。もうひとりは母となった。そのようにしてくりかえされてきたということだ。そしておまえのほんとうの母の名はレア・シルウィアだ。わたしの娘だ。とヌミトルはロムルスに告げた。

どういうことですか。とロムルスは問うた。王族の血はわが義弟アムーリウスにより絶やされた。残されたさいごの希望はおまえたちのみ。王位を奪還せよ。弟を救出せよ。祖父はそう言ったとしたらかっこいい。ちょうどそのころ、宮殿に連れ去られた弟レムスも現アルバ王位の簒奪者にして彼らの大叔父・暴君アムーリウスにより真実を知らされていた。義兄ヌミトルを王位から蹴落としたはいいが、その娘シルウィアが双子の兄弟を隠していた。ヌミトルの血は根絶やしにせねばならない。必ずおまえの兄を見つけだしてふたりともころす。「母はどこにいるのか」とレムスは臆せず言った。アムーリウスはレムスの目を見つめた。たしかにその目、おまえはシルウィアの息子に間違いない。いまいましい目……みたいなことを言う。つまりアムーリウスはひそかに美しきシルウィアに恋をしていたということだ。(そんな伝承はないがこうしたほうが面白い)。アムーリウスは言った。彼女はおまえたちを産んですぐ死んだ。「なら父は誰だ」とレムスは言った。まっすぐで強い目、勇敢でどんな運命にも屈することのない生まれながらの英雄、その父は軍神マルスであったと言われている。

アムーリウスは義兄ヌミトルを王宮から追放したあと、そのひとり娘であるレア・シルウィアを妻にむかえ入れようとする。しかし失恋。女は男を見抜くゆえ。そしてその傷は深く容易に癒えず。それでも彼は彼女を殺すことはできず、巫女として神殿に幽閉する。神につかえよ。とアムーリウスはまだ少女だったシルウィアに告げた。そして門は閉ざされた。

暗闇のなかで何日も過ぎた。とうぜん眠っているのか起きているのかわからなくなった。そしてシルウィアはある日ひとすじの光を見た。夢かも・夢じゃないかも、ということはわからない。いまとなってはどっちでもいい。あらわれた軍神は彼女の運命を予知し、ふたりは結ばれた。

ぼくのおかあさんは大きなクジラの背に乗ってやって来た。海の向こうからやって来た。スナドリネコさんも海の向こうからやって来た。最初にそれを見つけたのはぼくだった。でもそのときぼくはまだいなかった。ぼくのおとうさんはおかあさんと出会った。大きなクジラはおかあさんのたいせつな友だちだった。その友だちはおかあさんとおとうさんが惹かれあっていくのを海に浮かんだままずっと見守っていた。でもおかあさんがぼくを身ごもったとき海の向こうで大きな地震が起こった。大きな津波がやってきてそのたいせつな友だちは波にのまれて死んでしまった。おかあさんはぼくを腹に宿したままどんどん元気がなくなっていってしまった。おとうさんがどんなに元気づけようとしてもだめだった。食べ物が喉を通らなくなってどんどんやせ細っていった。ある日おとうさんが森から帰ると岩場の上に生まれたばかりのぼくがいた。おかあさんはいなかった。おとうさんはぼくを抱いたまま血のあとをたどっていった。それは海に消えていて、おかあさんのからだは二度と戻らなかった。おとうさんはクジラの友だちをなくしたおかあさんのようにどんどんやせ細っていってしまった。森のみんながどんなに元気づけようとしてもだめだった。でもおとうさんにはまだやることがあった。やらなきゃいけないことだった。それはぼくだった。ぼくはまだ小さくてひとりでは生きていけなかった。だからおとうさんはぼくを育てた。おとうさんは大きくなったぼくにそのことを話した。かなしみは病気だ。しかし生きることがそれを癒してくれる。と言ったのはぼのぼのだったか、その父だったか。

そして母はわたしたち兄弟を神に預けた。誰にも見つからないように、わたしたちを守ってやってくれと祈った。わたしたちは小さな籠に入れられ、夜明けまえにティベレ川に流された。そして双子の姉妹は、大きくなると、自らの意志で家を出た。彼女たちの両親が家に帰ると、そこにはふたりの字の書き置きがのこされてあった。

「音楽をまなぶよ。いままで育ててくれてありがとうテンキュ   マナ・カナ」

と書かれてあった。としたらどうだ。どうだ。と言われても私も知らないが、彼女たちはやがてなすことの、自分たちの運命が見えていた。としたらどうだろう。どうだ、って言ってもどうしようもないが、物語はただひとによって語られるのみ。ということだ。何を言っている。真剣に日記を書くとこうなる。仕事にはなんの意味もない。というのはしゃべりすぎか。でもひとが生きるとはこういうことだ。