2018.8.17

家も家族もみなただの覚めた夢に過ぎない。私が東京と名づけられ区分された行政上の都市の地面の上で、実際はそこはさらに区分された豊島区の雑司が谷という土地のアパートの畳の上でもある。そしてその上には布団がある。その上へ身体ごと横になり、真夜中に目を瞑っているあいだ私は何度その実家へ帰ったことか。そして今わたしはまた別の場所にいるということだ。ならば私は、どこから来た?という話になるが、どこからというのは、いつからという問題もずっと付いてくる。日付で区切るのなら、わたしは今朝実家を出て、また東京へ戻るために今ここにいるが、そんなことはどうでもいいことではないのか。わたしが知りたいと思うのは、じゃあこの4日間とは何だったのかということでしかない。大宮から始発の新幹線に乗り燕三条に着いた。実家に着いた。私は常に散歩していたと思われる。そしてギターとピアノを常に弾いており、おそらく暇だったのだと思われる。本は適当な小説を読んでいた。漫画はハンターハンターを読んでいた。何もかもが退屈だった。私は正直に申し上げて、自分の大きさというか、小ささというか、自分がどういう人間なのか、どれだけの量があるのか、自分でまったくわからず、誰かに言葉で言って欲しくてたまらない。私は自分という国の王にはなりたくない。だが考えというものは、自分のなかで無限に反復されてどんどん余分な方向へ肥えていくという気がしてならない。つまり私は、半年ぶりに実家に帰って、以前のどれよりも、これまでの人生で一番、家族が小さく見えた。それはどういう風に見えたのか。と言うと、ただの一般人に見えた。ぼーっと私は見てる。何の関わりもなく、これから出会う機会も必要もない無数の無名の人たち、といったような感じだった。なかでも父親の小ささは異常で、彼は人生のなかで一体何を恐れているのか、私にはまったく理解できなかった。彼はまったく部屋から出ず、飯を食うか酒を飲むか、その後はすぐに寝ていた。子育ても近所づきあいも面倒なことはすべて母に押し付け、それでも家という小さなお城が彼の世界のすべてだった。いや、仕事はしていた。だから会社での彼は違う姿だったであろう。しかし人間は機械じゃないんだからオンオフのスイッチなんてないんだから家にいる姿が会社にいる姿に他ならない。私が中学生のときから、小学生のときからずっと見てきたその姿が、今はもう怒りも悲しみも感じることはなく、ただ視界に収まっても池袋の駅ですれ違う名も知らぬ人と変わらない。誰なんだ。この人はいったい誰なんだ。

そしてすべてが静止していた。私が久しぶりに会う友人たちも同じだった。時間は私が中学生だったときのままで止まっていた。だがそれは彼らからしてもそうだったのではないか。つまり「時間」というものは、単に「個人の自己」というものにとどまらず、ある種の共同体のなかでも発起してくるということで、これは比喩的な意味ではなく、我々は同じ中学時代という時間を今も生きているということだろう。だから集まってしまうと昔のようにならざるを得ないということだった。だから私は自分以外の時間が止まっているような気がしたのかもしれない。しかし確実に時は過ぎている。我々は深夜の加茂川にいて、それは今から数日前のことだった。我々は地面に座り込んでいた。夜の沈黙のなか川は流れていた。どこか遠くで車の音がしたがすぐにもっと遠くなって去る。というようなシーンだった。ふと大湊が「ぬくもりが欲しい」と呟いた。するとすぐのことだった。こだまするようにナンバが「子どもが欲しい」と言ったのだ。何ということか。と私は思った。それはもはや会話でもなんでもない、静かで孤独なやまびこだった。それは悲鳴にも似た、二人の男の返らぬやまびこは、涙のように流れる黒い川の向こうに去り、消えた。というシーンだった。

この話から何か学び取れるところがあるなら教えてほしい。まったく相変わらずと言うべきか私は何も言っていないのと同じだ。たぶん何も言いたいことがないんだと思う。まったく退屈なことばかりだと言うべきか。もしくは黙っておくべきか。しかし思ったことは口に出すことにしよう。がんばれ。ということだ。がんばれ大湊。がんばれナンバ。がんばれチノケン。がんばれ親父。

2018.8.15

私はすごく暇だった。やらなきゃいけないことはあったかもしれないけど暇なのに集中していたというか、何もしていなかった。暇な状態に集中するというのは暇なのを意識した瞬間に集中が解けるので禅と同じだった。私は朝起きた。親戚が泊まりにきていた。会ったことのない親戚だった。親戚が泊まりにくるのはものすごく珍しいことだった。どの縁に当たるのか知らない人たちだった。妹と同じ歳くらいの姉妹もいた。その晩はその人たちと近所の川へ夏祭りを見に行った。翌朝起きるとその人たちがいた。昨晩はその人たちと話した。その朝は私は起きると散歩に行った。お盆に実家に来てから何度も散歩へ行った。というのは記憶というものを思い出しに行ったというのが正しい。私の家から

 

私の家から右へまっすぐ行くと駅前の公園があり、ここはいまは市に見放され藪地と化しているが、子供の頃、まだデジモン02がやっていた頃、その近くのスーパーでブレイブモンの食玩を祖母にねだり、買わせ、先に家に帰っててくれ、と私は祖母に告げてこの公園でひとしきり遊んだあと家に帰ったら、母に叱られた。だが今はこの公園に近づきもしない。ただの藪地になっている。

家を出て左へ行くと米屋があってその娘さんは私の二コ上くらいで非常に気が強く雰囲気に柔らかいところがなかったので私はかねてより苦手としていたという印象がある。その米屋を通ると十字路があって右へ行くと商店街があって幼稚園があってお寺があってお墓があって盆のお墓詣りはここへ行った。十字路を左へ行くとナンバの家がある。今日はナンバに会った。

私はそのとき散歩をしていて遠くまで歩いて来ていた。ふといろんな人の家に電話をかけて大湊の家は母親が出た。私のことがわかると彼女は大湊の名前を大声で呼んだが二階から降りてこない。夜勤明けで疲れているのでそっとしておいてほしいと言われ私は電話を切ってナンバの家へ電話をかけたら祖父が出たが私のことはわからなかった。ナンバが出た。暇だから車を出してほしいと私は言った。先のことは何も考えていない。これが後に響くことになる。ナンバのマイカーへ乗り込むと私はBluetoothのスピーカーに自分のケータイを接続して音楽をかけ始めた。それから新潟へ向かった。

新潟へ着くとチノケンのアパートへ行って彼も夜勤明けだったが眠りから目覚めてもらった。チノケンのアパートへ来るのは初めてだった。誰も意味をわかっていなかった。どこへ行くかもわからなかった。話すこともひとつもなかった。ただ車のなかに音楽が鳴り響いているが、それを聴く者は誰もいなかった。チノケンのアパートには女物の下着が干してあった。赤いレースがあしらわれた際どいものだった。これは俺が履くんだと言うと彼は畳んで引き出しにしまった。本当はそれは彼の32歳の彼女のものだった。私たちは海へ向かったが、海の家で焼きそばを食べたらすぐに浜辺を去った。何をしに来たのか誰もわからず、責任が私にあるような雰囲気になった。そのあとは水と大地の芸術祭の一環である古町のお化け屋敷へ行った。ハードロック系のライブハウスと同じ雑居ビルの7階だった。私たちの順番が来るとじゃんけんで列の並び順を決めた。じゃんけんではなかったか。とにかくチノケンが先頭になった。彼は「怖くねーし」と言いながら受付の女性に「お化け、弱めで。」とトッピングのようなものを注文していた。入り口から入るとぬいぐるみを持った女性がいた。このぬいぐるみを迷路の奥にいる少女へ届けるというのが我々には課されたミッションだった。彼女はその場所まで案内してくれる人らしい。しかし途中で彼女は死んだ。お姉さん、とチノケンは何度も叫んだ。「押すんじゃねーよ!」と言って彼は私の腕にしがみついたが私はずっと押していた。途中押し出されたチノケンが奥の部屋へ入って絶叫と共に消えた。消えたのではない。床がクッションになっていてめり込んでいた。踏むとずぶずぶ落ち込んでいく素材だった。うわあああと私たちはなった。すんでのところで脱出すると、暗い長い廊下の奥に椅子に座った少女がいる。人形のようにも見える。だがここからは暗くてよく見えない。チノケンはクロネコヤマトの宅配員だった。「いつもの調子で渡せば大丈夫」と私は言った。彼はしばし逡巡したあと頷くと、意を決したように廊下へ足を踏み入れた。「クロネコヤマトの知野です」と言いながら椅子の少女へあろうことかぬいぐるみを投げつけた。すると少女が立ち上がって追いかけてきた。それから不思議なことが起きた。きわめて通路の狭い廊下で、先頭のチノケンのうしろには私と、私のうしろにはナンバがいる。チノケンは私とナンバをすり抜けて、一目散に出口へ向かって猛ダッシュしていた。これは後から気づいたことだ。どうやって彼はあの狭い廊下で我々二人のあいだをすり抜けたのか。わからない。しかし結果的に私が最後尾で怨念に駆られた少女に追いかけられた。

お化け屋敷を出るとさっきの大湊から電話がかかってきた。「久しぶり」と彼は言ったが私は律儀だなと思った。でも彼はガソリンスタンドの夜勤明けで身はぼろぼろの状態だった。もう少しで上がりが見えるんだと私は言った。たどり着けるんだと言い続けていたが、大湊の声音からはもう久しぶりに会う律儀さは消え失せていた。「意味わかんねーよ」と言われて私は至極まっとうだと思った。でも彼はそれをツッコミで言っているだけだった。それから町へ一時間かけて戻ると大湊の家で彼を拾った。それからどうするのか。「一時間もあったのに決めてねーのかよ」と彼は言ったが彼は文句を言うのが好きだった。私はなんというかいつも何か言い出しっぺで彼に文句を言われる役割だった。しかし一時間あって、何もなかったわけではない。

私は車のなかでナンバと話していた。うしろにチノケンの運転する車があった。ナンバの車内には私とナンバだけだった。チノケンはまた新潟のアパートへ明日の勤務に備えて戻らないといけないから自分の車で来るしかない。「最近まわりの人と話すといつも結婚とか恋愛の話になる」と私がナンバに言うと彼はうつむいた。そうか。彼も同じなんだと私は思った。「俺は一生この職場で骨を埋めるんだ」と彼は言った。ただ仕事をして親から受けた負債を返すためだけに大学で勉強して、ようやく職についたのに、気づいたら職場の高卒の後輩たちなんかはみんな彼女がいる。先輩はなんで彼女いないんですか?と彼は聞かれた。「こっちが聞きてえよ!」と彼は叫んだ。そうだ。私たちは人生でこっちが聞きたいことだらけだ、と彼は言った。「28か29までらな」と彼は言った。「らな」というのは方言で「だな」という意味だ。28か29、そこまでは生きてやってみる。だが駄目だったら、「死ぬこてな」と彼は言った。というより私が言わせたのだ。「死ぬこてな」というのは「死ぬだろうな」という意味だ。私は仕事が嫌なら辞めればいいと言い続けた。彼はもうやめろ、と言った。

「仕事を辞めてもなあ。社会的に死ぬっけなあ」

と彼が言う隣の助手席で私は遠くの山を見やっていた。というシーンだ。車のスピーカーからchaiというバンドのsayonara complexという曲が流れていて、これは歌詞をその通りに受け止めれば別れの曲でもある。バイバイ、というフレーズが繰り返されるのを遠くの山が通り過ぎて行って、そのふもとから長く伸びた緑の稲穂の田んぼがずーっと続いている、という景色だった。メロディと景色は似ているが、なぜ似ているかはわからない。と私は思った。ナンバは前を見て「仕事を辞めてもなあ」と言っていた。

そういうことがあった一時間だった。だから何もしていなかったわけではない。「ちゃんと考えたけど、結局世界にあるべき姿はないという結論になった」と私は言った。「そういうことじゃねーよ」と大湊は言ったが彼はツッコミが好きなんだと思う。昔からお人好しでツッコミに徹していた。だが彼は本当は自分が一番ふざけて周りをかき乱すのに性的興奮をおぼえる異常者だった。とにかく私たちはゆくあてもなく傾いた家〈ビックリハウス〉のある公園へ車で行った。車で行くと10分くらいで着く。ちょっと遠いところにある。傾いた家というのは、

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これで、斜面に建てられていて17度の傾斜がある。写真の人間(大湊)が傾いているのではなく、これは本当は家自体が傾いているというアスレチックである。しかしこの写真自体は人間の傾いた影が不気味でもある。傾いた家で五分くらい遊んだ。そして出ると、駐車場へ車に乗り込みに向かった。途中私たちはずっとふざけ合って話していたが、「なんでもかんでも難しい言葉で言えば頭良いってもんじゃねーぞ」と私は大湊に言われて眼が覚めるような思いだった。大湊は頭が良いと思った。

そうだ。その前に心霊スポットへ行こうという話が大湊から出たが、チノケンがさっきの今で「それはやばくね?」と唐突に焦り出した。私は小学生のときみたいなノリというか雰囲気だと思いながら「おしめが欲しいか」と言ったら彼は「ふざけるな」と言って怒りだした。結局心霊スポットには行かず、ビックリハウスへ行って何の感動もなくその場を去った。

2018.8.13

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この先を行くと砂場がある。小学生はこの河川敷で行われるマラソン大会に出る。

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この先を行くと展望台がある。方角はちょうど南から市内を見下ろす。

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見下ろすとすぐそこに墓がある。寺があって学校がある。私の通った小学校とは違う小学校でありもっと山に近い。

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市内の病院が改築工事をしており、こういう大きな現場には入りたくない。

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日没は別の展望台におり、この丘の下に友達の家がある。市内は田んぼに囲まれていた。


しかし何も懐かしくはない。家族と呼ばれる人々に会った。なにも感じるところはない。無感覚なのではなく、単に実家にいるのはヒマで退屈な気持ちになる。清水に言いたいことがあるような気がする。それは、笑ってくれても構わないが、これは生きて進もうとする人間の普遍的なテーマでもある。「帰る場所」というのは、自分が生まれた家族のところにはもうないのかもしれない。私たちはもう自分の家族を自分で作らなくてはいけないのかもしれない。馬鹿な話だろう。居酒屋で結婚や恋愛の話をしていた自分みたいだ。でもやっぱりそうじゃないのか。ここはもう帰る場所じゃない。悲しいのではなくもっと違う感情が私の中にある。なんだろう。ひょっとしたら危うい万能感にも陥りそうな、やや不安定な力と言ったところか。だって本当に暇で仕方ない。父も母も祖母も妹も小さく見える。あまりにテレビを見過ぎている。何も考えていない。でもそれも余計なものか。余計なものを私は人生にたくさん持ち込んだ。そのせいで気難しい人間になった。でも努力はしている。なるべく気楽な人間になろうとはしている。というかそんな自分のことはどうでもいい。問題はたくさんあるから考えないと。考えるのは楽しい。

2018.8.12

金曜日は10日だった。夜は清水と会った。それまでは仕事だった。仕事は楽しいかもしれない。設計にいたときは何かに追われることはなかったのでいつもサボっており、外回りと称して喫茶店で読んだり書いたり映画を見たり服を買ったり家に帰ったり寝たりしていた。しかし公務はすごい。私は絶対に社会に出てみて良かった。ものを考えるのに役立つ。とその日つよく思ったのを覚えている。そして大宮にいた。もう夜だった。現場へ書類を届けに急いで会社を出てそのあいだも歩きながら色んなところに電話をしていてTシャツ姿だったけどサラリーマンみたいだった。それから高円寺へ移動して清水と会う約束だった。一時間くらい私は待って、駅の改札にいて、そろそろ何かがおかしいと思って電話してみた。出なくて、死んだんじゃないかと思った。誰でも見えないところで連絡がつかなくなるとその人が死んだんじゃないかと思うと私は思うが他人の頭の中はわからない。そしたら清水からラインが返ってきた。ケータイとかラインとか、もはやそういうもので人の意識は構成されている。遠く離れた距離の消失。電話をかけるためにどこかへ行く必要もない。ケータイは自分の身体から手や足が離れないのと同じ意味で、常にここにある。ラインのせいで私たちはどんなに離れ離れになっても離れられなくなった。おそらくこの先もう二度と離れられない。ケータイを持っている限りは。しかし距離の消失はゼロ距離ゆえに無限の隔たりをも意味する。だから君の名は。があんなに売れたのは現代人のそういうデジタルな意識の影響によるものだと思う。とにかく清水からラインが返ってきた。「いま当たりが出てるから離れられないわな」と返ってきて私は彼はなぜパチンコにいるんだろうと思った。高円寺で飲むという約束を彼は自分でしてきたのではないか。そしたら彼はもうすでに高円寺にいてディオスという名のパチ屋にいるとのことだった。私は来るはずのない影を待ち続け、その影の主は自分の太陽を見失った。私がディオスというわけのわからないうるさいパチ屋に行くと清水がいた。パチンコ屋というのはすごくうるさい。清水の口が動いているが何を言っているのかまったくわからない。おそらく勝ったのだろう。それでカウンターで何かカードのようなものを手渡され、しかるべき機械に彼がそれを差し込むと200円が出てきた。「勝ったんじゃないのか?!」と私は何度も叫んだが店内がうるさすぎてまったく清水に聴こえていない。店を出ると清水があれは違うよと言ってバトルチップみたいなものを取り出した。これを換金所で引き換えるんだよと言った。そんなシステムが世の中にあるとは。換金所は防弾ガラスみたいなショーケースの向こうに婆さんがいた。清水が下からチップを差し込むと機械的に婆さんが金を下の引き出しに入れて渡してきたが5000円だけだった。大金だよと清水は言った。だが飲み代で消えた。酒を飲みながら話した内容に関しては、書くには長く話すには短い。ただめずらしく私たちは終電で別れた。私は家に帰ったら気を失って寝た。汗だくで歯も磨いてなかった。扇風機もまわってなかった。ただ床に仰向けになっていた。汗だくだった。なんで何も起きてないこともわざわざ書くかというと村岡やその他の人がいつかこれを読み清水や小澤や畠山や牛渡や自分の周りの人のことを考えたりするのに役に立つのではないかと思うからであり、微力ながら私は後世に資料を残しているつもりだ。

2018.8.8

夢と現実は同じ通路で繋がっているということはすぐに理解できる。結局はどっちからそれを見ているかという知覚と認識の問題に過ぎない。そもそもそれはコインの表と裏に等しいので、ふたつのあいだには通路どころか違いはない、夢と現実は同じ部屋であるということになる。今見ているものが何なのか誰にも説明できない。でも夢と現実の区別はつく。区別がつかないのは清水しかいない。しかし夢も現実も、同じこの重力というものがあらゆる生物にもたらした、無意識という名の領域の産物に他ならない。何かを見るということは、常に、その心の奥底の、見えもせず触れられもしない不思議な領域を通して見ているということになる。だから本当は夢と現実が区別できるということ自体が不思議なことだ。私は眠っているあいだは新潟の実家にいる。ほとんど毎夜私は家に帰る。そこには家族と呼ばれる人たちがいる。私は夢と呼ばれる時間ではいつも腹が減っている。目の前に食べ物があるのに食べられない、または食べ物を選んでいる、または食べているところで目が醒めるというか、布団にいる。朝空腹のあまり目が醒めることも多々ある。くわえてすさまじいほど綺麗な景色というものを私はよく見る。ベランダに猫がいるときに猫の夢を必ず見ていたが、必ずかどうかは寝ているからわからない。しかし夢は現実と同じくらいおもしろい。だからなんでこういうことを言うかというと私は今どこにいるのか不思議でならない。しかし書いていてどうでもよくなってきた。やめる。

 

カリフォルニアスターズという曲があるが、1950年の後半のときだったかボブディランはたしか10代のときにニューヨークにやって来たのであるが、そのときは真夜中だったと記憶している。仲間の車にギターケースを乗せて数人でやって来たんだったか。しかし別のインタビューではサーカスの一団に混じってやって来たとも言っている。しかし本物の英雄をこれ以上神格化しても意味がない。彼は夜中の薄汚い酒場で演奏をやり始めたと言っていた。カフェホワッ?という名前の酒場で、これは誤植ではない。裏手のキッチンにまわれば気の狂ったコックがいて豆の缶を温めるのに鍋を貸してくれたりたっぷりの脂肪のハンバーガーを食わしてくれたりと非常にお世話になったと書いてあった。食べ物のシーンは私はよく覚えている。それでボブディランはまだ無名のぽっちゃりした坊やだった。彼はウディガスリーという英雄を自身の目標としていた。しかしボブディランがニューヨークに来たときウディガスリーはすでに精神を病み病棟に隔離されていたのだったか、しかしボブディランは身の程知らずというか変わり者というか、丘の上の離れの病棟まで彼に会いに通ったらしい。おそらく彼は自身が英雄と仰ぎみる男の姿を自分の目で確かめておきたかったのだと思う。彼は変わり果てたウディガスリーと対面した。「見ていられなかった」と彼は自伝で綴っており、私は笑ってしまった。何がどう変わり果てていたのかまったくわからないのが怖い。しかしボブディランはなぜかその病棟に通い続けた。そして彼が最後にウディガスリーに会ったときだったか、ウディは彼にこう言った。「これまで書き溜めた詩が私の自宅の地下室にある。君にあげる。好きに使ってくれていい」

というような感じだった。ボブディランはすぐには行かなかった。何日か、何ヶ月か過ぎた。演奏している日々も頭の片隅にそれはあった。それから時間が経って、なんとなくボブディランはウディガスリーの自宅を訪れた。チャイムを鳴らしたのかノックしたのか、すると、メイドが扉を開けた。何か用ですか。と言われ彼は口ごもった。メイドの足元からまだ幼いウディガスリーの娘が飛び出して来た。彼はそれを見ると「何となく気が進まなくなった」と書いてその場を立ち去っている。それから40年経った。言葉はひとことで40年と言うが、言葉以外でこの年月の操作というものはできない。だから不思議だ。とにかく彼女が家の戸口で踵を返して立ち去るボブディランの背中を見送ったとき、彼女はたぶんまだ3歳だった。それから40年が経った。父の地下室の奥深くでたくさんの詩がひたすらに時が来るのを待っていたことを彼女が知っていたのかどうかわからない。彼女がいつその地下室の扉を開け、やがてイギリスのミュージシャンであるビリーブラッグという男に手渡すことになったのかその経緯はわからない。遠い昔に立ち去るボブディランの背中を見送ったことを彼女が覚えていたのかどうかわからない。ビリーブラッグはまたウディガスリーの信奉者のひとりだった。彼女は父の詩をどういった想いでビリーブラッグに手渡したのかわからない。いずれにせよ一度は誰かの手に渡るはずだった父の遺作とも呼べる詩の数々が、それを受け取らなかった誰かの背中を彼女が見届けてから40年が経ち、ついに一人の男の手に渡ったが、それらはぜんぶただの偶然に過ぎない。ビリーブラッグはアメリカのウィルコというバンドにその詩の半分を手渡したが、なぜそうなったかという経緯はやっぱりわからない。英語が読めれば色んな資料を集められるのに。彼らは共にその詩にメロディを付けて歌にした。40年というのは、ウィルコのボーカルであるジェフトゥイーディは、ボブディランがウディガスリーの家を立ち去ったそのときはまだ、生まれてもいなかったのではないか。「なんとなく気が進まなかった」というのは、そのときウディの娘が玄関先に飛び出して来なかったら、そのときふいの呼び鈴にメイドが扉を開けなかったら、たまたまその日にボブディランが彼の家を訪ねていなかったら、そしてボブディランがその日もしもウディガスリーの地下室に足を踏み入れてしまっていたら、この40年はなかったというだけの話で、カリフォルニアスターズという曲もなかったというただそれだけの話で、40年というのはすごく長いという、ただそれだけの話で、時間は不思議だという、ただそれだけの話だった。

2018.8.7

身体中から力というものが抜けている。誰の身体かというと私の身体ということになる。しかしそう言う私が誰なのかという話になる。未来のミライという意味不明の映画のラストシーンでは悪夢に迷い込んだ男児が「おまえは何者か」と夢の主に突き詰められる。幼い彼は自分を証明するものを持たず、母の名も父の名も言えない。しかし彼の存在を証明するものは、過去ではなく未来にある。「ぼくはミライちゃんのお兄ちゃんだ」そう叫んだ彼はもう名を持たぬ何者かではなく、自分自身で悪夢を終わらせる存在の力というものを手に入れる。そう書くと面白い映画に感じるかもしれないがぜんぜんおもしろくない。

色々とやることがあるのに一日が終わろうとしている。11日までに諸々の雑務や下準備が終わらなければ盆明けの工事までひたすら怯えて過ごす休日が始まってしまう。そうはなりたくないがあと盆まで3日しかない。現場へ行けば会社でやることの時間は削られ、会社にいれば現場で確認しなくてはならないことが確認できない。昨日の私まで、これを恩寵と感じて嬉々としてやっていただろうが、今は指ひとつも上げられない。疲れたのではなく果てた。昨日はじめてのひとりでできるもん施工を済ませ、

そうだ。私は昨日思いついたことがあった。それは部材を搬入している最中のことだった。部材と言ってもそれは家具だから、おそろしく重い。ポリエステル系樹脂の人大、カウンターと本体でいったい何キログラムになるのか、そしてポリ板を貼ったラワン合板を縦に横に組み合わせた木部のキャビネットというものに芯材がmdfの扉が付いているものが、何キログラムくらいあるのか、私と職人のふたりで運ぶ。えっさwほいさwなどとふざけた作業ではない。この現実はアニメや漫画ではない。だから熱中症になる。熱中症と日射病は違うから、日光を食らってなくても、単に温度の極めて高い空間のなかで激しい運動をすると汗が止まらなくなる。そろそろ血が出るんじゃないかというくらい汗が出るが、これは少なくとも私は現場以外で絶対に体験できないものだと思う。そう考えると良いような気もしてきた。しかし寝不足の状態とか、食事不足の状態とか、水分不足の状態にそれをやると、「死ぬ〜!」とかいうくそつまらない冗談でもなんでもなく、頭痛と吐き気に襲われて、それでもやると死ぬ。私は昨日は大丈夫だった。でも職人はもう60なのでやばい。今度からは荷揚げ屋を入れないと、職人が取り付けを行う前に死ぬ可能性がある。しかし重いものというのは本当に重いんだ。書いてもどうせわからないだろう。と書くとニヒリズムへの入り口だ、諦めてはダメだ。筋肉が実用的に必要とされる場面は日常生活でなかなかないが、重いものを持って、運ぶ、しかも階段を上る、3階まで、というのは、腕の筋肉じゃまったく足りない。ふたりで2メートルほどある石の塊を持ち上げているが、階段を上るとき、前で持つ私は、腰を落とさないといけない。あれ? だがなぜ私は腰を落としたんだろう。意識的に言葉で説明するのはむずかしい。それは実際にやってみるか、もしくは実際にやっている人を目の前で見るだけでいい。それですぐに理解できるはずだが、くそ。想像や記憶は細部のプロセスをすっ飛ばしてしまう。きっと腰を落とさなくては、人大が階段の段差に当たるんだろう。私は腰を落としている。それは80キログラムとかあるかもしれない石の塊を持って、膝を曲げてなおかつ全身から崩れ落ちないようにするためには、本当にあらゆるところで筋肉を使っているということを思い出してはじめて気づいた。ということは、私は自分が何者かを考える必要はないかもしれないということだ。人を救う何か観念的な認識をもたらしてくれるのは、実は想像や超越的イメージみたいなものではなく、単なる物理的なプロセスやそのつどの諸感覚なのではないか。と書いてる自分がいちばん意味がわからない。

2018.8.6

何をして何を考えていてもヨドバシカメラのプラモコーナーに小澤といたときのことが悪夢のようによみがえってくる。それはただの郷愁なのか、知らない。もしくは何かのナルシシズムを私は小澤と共有していたのかもしれない。そのナルシシズムはオタクの必要条件的なあれで、同族間の結束力を高める純粋かつ暗い要素のあるあれだと思う。思い思われふりふられという漫画では、私はかっこいい台詞というものが好きで、シェイクスピアにはじまりボブディラン自伝、キングダム、そして思い思われふりふられという漫画でも、主人公の由奈は7巻の学園祭が終わるシーンで好きな男に告白する決意を固める。あ……勇気がしぼんでいく音がする……とギャグ調で描かれるこの台詞を私は忘れることができない。そして「行こう勇気がなくなりきる前に」と言って立ち上がる彼女は、そのとき確かに普遍的かつ永続的な人類の英雄の姿をしている。そしてなんやかんやあって、というのは恋愛漫画というのは起きるドラマのシークエンスはまったくおもしろいものではない。それは決まりきった恋愛の作法や成り行きを、いかに感動的にみせるかという演出の力にかかっている。ような気がする。そしてなんやかんやあって、告白は成就するが、彼の胸に飛び込むとき、彼女は、「別の世界の人だと思ってた」「だけど」「私たちちゃんと」「同じ世界にいる」

これほど私と小澤を真反対にバリバリバリ!と引き剥がす言葉はない。丁寧になぞってみよう。「別の世界の人間に過ぎない」「だから」「私たちは永遠に」「違う世界にいる」 そしてその言葉がいま、好きな男の胸に飛び込む少女の喜びと、ガンプラコーナーにいる私たちの悪夢とで、綺麗に真ん中から裂け落ちる。男女や恋愛や結婚や出産や仕事やアルコールやタバコや風俗や、そういった人生のはじまりを告げる幸福と不幸の大嵐−テンペスト−のなかで、私にとって小澤とあのヨドバシのプラモコーナーだけが、決して沈まない眩いばかりの悪夢に他ならない。あるいは私たちはすでに嵐に呑み込まれていたのかもしれない。遠く姿はもう見えず、荒れ狂う波の下でもがき苦しんでいたのかもしれない。溺死していたのかもしれない。そう考えると色々なことに合点がいく。恋愛やら結婚やら、一緒に住む家やら金やら、働き口やら身の振り方やら、そうやって嵐の中で船を行きつ戻りつしている者たちに混じって、私たちは、少なくとも小澤は、流れ着いた孤島でミランダに出会えることもなく、溺死したも同然の狂い方を決めた。「なぜならそうした方が楽だからさ」と小澤はあの日何回か言った。これもその結果だと言うのか。いや、結果が出るのはまだずっと先だ。あるいはすぐそこか。しかし楽になるとかなら死ねばいいのにどうしてそうしないのか。自殺とかなら世間で考えられているほど神経質にならなくていいはずだ。死んでも死んだことにはならない。ただ死ぬまでの物理的なプロセスをひとつひとつ踏んでいくことに耐えられるやる気があればの話だが、それは難しい。周りで誰も自殺というものをしないのが考えてみれば不思議な気もする。まだ誰もそれをしていないというだけで、案外すぐそこなのか?清水。