20200220アカネの報告②

契約金5,000,000のうち500,000を4月分出来高10%として請求する場合、支払い条件が90%翌月支払+10%翌々月支払だとその月に請求できる金額は500,000のうち90%の450,000で税金の10%を入れると495,000になって、本来の4月分の出来高残り10%の50,000はまた翌月に請求しなくてはならなくて、本契約の残り4,500,000が同じように5月、6月と出来高計上されてゆく中、途中で仕様変更や増減などで金額が変わっていき、たとえばその最終月に精算するにあたって建設現場のゼネコンの所長が「お前んとこの減額は表向きはなかったこととして計上してやるから差額分を誠意のかたちで見せろ」と言われたらこれは闇金ということになるということだと思う。この政治経済的オープンワールドは人間が作ったものであるからある程度の複雑さや緻密さはきっと何か意図や目的があってそうなっているはずだと思う。そしてそれは同じ人間である私にも理解できるはず、だと思う。だがどうしてもこの経済の感覚というものがよくわからない。そもそも90%+10%って何?と思う。なんで?ていうかパーセントって何?と思う。ていうか1って何?と思うし俺は1?と思う。2って1と1?それとも2は別の概念?と思うし俺の身体や意識は一個?それとも無限?的なインド哲学的な感じになると思う。なぜ請求や支払いはこんなに面倒なシステムになっているのかと思う。算数だから電卓を使えば誰でもできるかもしれないがオープンワールドのプレイヤーたちはちゃんと仕組みを理解してるのかと思う。義務教育的な学校で習ったのかもしれないが誰も聞いてるわけないし覚えてるわけないと思う。そしてそういったゲームのルールを手繰って得意げに金の数字を動かしている人たちは「ずいぶんお上品なダンスじゃねえか」と思う「頭が良いじゃねえか」と思う。しかし何が楽しいのかわからないがやっている人たちはかなり楽しそうに見える。それがこの世界でふ。

20200219破産

今は長野へ移動する新幹線の中で窓の向こうビル群の街からどんどん離れており「まなざしの遠さそのもの」がどんどん開けており西部劇の砂漠を見る眼さながら映画のようであると思われ、正直すべてが面倒臭いしこのまま気体と果てしない距離感の中へ溶けてゆきたい気がするがそれは金のなさから来る無気力であることは自明の理というか全部仕方ないというか飢えフェチというものだと思われ、もう私には村岡を救けることもできないがしかし金というものは本当に気になるものであって、もっと言えば社会的な経済感覚というものが私には非常に理解し難く同時に興味深く面白い。しかしこうやって頭が楽しい状態にあるには飢えて痩せ細った身体にある程度の満腹感という快楽を与えてやらないといけないのであって結局人間は「観念のダンス」であると同時に「資本のゲーム」なのかもしれないと思った。26日の引き落としで口座の残額がゼロになると同時に借金をしなくてはいけなくなりしかし母と祖母に沖縄旅行をプレゼントすることは私にとってこのような敗北的なヒロイズムを味わうことが目的だったのではなく単純に「払う」と言った手前「やっぱり無理でした」と言えなくなったのを諦めただけでありその先は飢えたいフェチを楽しむだけのおままごとだが結局一ヶ月もすればまた給与が入るから死ぬことはない・しかし本当に飢えて死ぬ人もいる。飢えて死ぬ人は食卓の上人から見れば資本のゲームの脱落者であることになると思う。でも可哀想だと思わないか。思ってもそれは他人だから我々は関係ない。でも可哀想だけど単純に一個の身体という資本が燃料切れで尽きただけの現象であることは間違いない。「命の大切さ」はその後に作られたひとつの近現代的な観念に過ぎない。しかしそれよりも金というものがこの政治経済的オープンワールドによっていかに複雑かつテクニカルに機能するか非常に面白い。会社同士のやり取りになると尚面白く、まさに建築業界などは「責任」や「思いやり」やある種の「縁」や「恩」など、目には見えず各人の頭の中にだけある(ない)観念を物質という三次元の拒絶体が現場において究極的な形で担保してくれるのと同時に、それらはすべて貨幣制度の交換価値に置き換えられまた別次元の抵当物質になる(のか?)。気がする。知らない。あと税金などがあってよくわからない。そもそも見積もり金額を叩き出す際に、掛け率なるものを適用する意味が何度調べてもわからないし頭が理解できないし何でそのあとNET金額なるもので計上するのかその「意味」や「目的」が理解できない。やり方は算数だからわかる。なぜなら各人の経済感覚はほとんどそのまま対人コミュニケーションの感覚に繋がっていると思うので、私は絶妙にテクニカルな距離で他人と社交ダンスをするなんて出来ないし・出来るかもしれないがキモくなるし単純に自分の欲望的にやりたいと思わないゆえ脱税や賄賂などの闇金的なものも、資本のゲームの苦手さゆえ手がつけられないことはおろか、個人的な破産も目の前に迫っているということだと思う。

ねがいごと

https://soundcloud.com/user-249467151/4joyya9zpdeh

ボーカル:妹/語り:小澤さん

〈歌詞〉

目が覚めて起き上がった私の中に
夢で見た不思議なくらいたくさんの人
なんとなく

覚えてるような気がするけどわからない

わからない
人がたくさん

優しさはお日様(ha)
人恋しさはhmm(ha)
流れ星が流れてゆく(kira kira)
ねがいごとは私(woo)

私の上に
私の中に
hmm,ねがいごと

小澤さんアドリブ
「ねがいごとか。
考えたこともなかったな。
今日やってみるのも良いかもしれない。
ちょうどいい。あんなところに、流れ星がある。
何を願おうか?
すぐには出てこないな。
誰と願いたいか。
そんなことも思いつかないや。
参ったな」

だんだん遠くになってゆくあなたの中に
流れ星が私の上
ねがいごとが夢で見たあなたの中に
流れ星が私の上

20200217共有は奇跡

『piercing』聴けば聴くほど生活に浸透していく・この軽さと自然さが日々の緊張を緩和すべくある種の個人のなかに響くと思われる。多くの人を魅了する作品というよりも、さまざまな個人と生きた時間を共有してその人自身の生活音になってゆく素晴らしい作品だと思う。メロディの細やかな美しさと情愛に満ちた歌詞の視点が良いと思う。しかしうううとなるそして、“共有は奇跡 もうないかもチャンスは 愛はまるでGaiaみたいだ 幸せ”というラップのリリックに素晴らしさを感じるそして「確かに」と思うそして、これ以上どこへ行けばいいんだ的なことを考えるが、俺は目の前のことを楽しくなるまでやり続けるしかないのが無常だしロマンチックな要素など完全に消滅しとるし老人みたいに枯れとるし色々と自己完結しとるし単純に誰かと何かを共有して快感を得たい。だが私のA.T.フィールドがそれを阻害する

20200215消費

小袋成彬氏の『piercing』素晴らしいと思う。Gaiaが本当に素晴らしいと思う。本当に素晴らしいでもまるで他人の人生を見ているようだと思う。実際にそれは他人の人生であって私に関係ない歌だが自分のことなんて死ぬほどどうでもいいくらいこの曲が良い一生聴くと思う。しかし、過労死したいが頭が疲れてくると死ぬこともできんくて寝る以外の欲望がなくなる、しかし眠い。しかしGaiaはなんと良い曲なことか、まるで自分の人生を見ているようだ・しかし、他人の人生を見ているようだ・しかし、本当は自分は一人ではないのではないのか、という恥ずかしい希望に繋がりそうな非常に素晴らしい曲だと思う。何度も聴いて聴くたび染みていく曲であることは間違いなくてどんどん時間に置き換えられるどんどん自分が生きてる時間そのものになる素晴らしい曲だと思う

20200214赤木ナオコ

第3新東京市の運営はもとより特務機関NERVの本部における使徒迎撃システムの中枢をも担うMAGIと名付けられた第七世代有機コンピュータは、開発者である赤木ナオコ博士自身の三つの人格「科学者」「母親」「女」をモデルとする三体合議型システムが採用されているせいで謎の機械になっているのではないか。常時MAGIに要求されるのはあらゆる有事の局面における精密な試算と対応シミュレーションであるが赤木ナオコ博士自身の「科学者」「母親」「女」の三つの人格を搭載しているせいで謎の機械になっているのではないか。システムの中に故意にジレンマを搭載する目的はしかしカオスこそ自然の秩序を成り立たせる唯一の理であるというそういう感じの赤木ナオコ的霊感なのかもしれないがしかしMAGIなくしてエヴァシリーズは人類補完の要たりえぬ。小袋成彬の『piercing』ばかり聴いてしまう。なんと美しい日々の断片的ポートレートか。と思う(思った)ずっと聴くと思う